貧乏人ほど
物が多い理由

貧乏さんが物が多いのは
なぜですか?

貧乏さんほど、
物が多い理由とは?

単に裕福に「なりにくい」
生活スタイルだからです。

「金持ち」じゃなく
「物持ち」になりたいだけ。

所持「金」を軽視して、
所持「品量」を重視する。

「お金を使い切って、」
単価の安い物資を大量購入。

慢性的にお金がなくて、
無価値なガラクタいっぱい。

それが貧乏。そういう人が
ただ、単純に、猛烈に、
「裕福になりにくい。」

その理由は財産の
基準が物資だから

物が多いと
貧乏になりやすい理由

「金持ち」じゃなく
「物持ち」になりたいだけ。

所持「金」を軽視して、
所持「品量」を重視する。

「お金を使い切って、」
単価の安い物資を大量購入。
安さを自慢。低単価を自慢。
値切った額を自慢。
最安値探索が上手なコトが自慢。
そういう価値観。

当然、慢性的にお金がなくて、
再販価格がほぼゼロの
無価値なガラクタいっぱい。

それが貧乏。そういう人が
ただ、単純に、猛烈に、
確率的に…圧倒的に…
「裕福になりにくい。」

…と、いうよりも、
裕福になりたいとも
思っていない。

そういう人って、
無価値なガラクタ保有量こそが
その人の「権威の象徴」です。

「誇る基準」が違うだけ。
そういった事情です。
事情というか、現象です。

貧乏さんほど、
物が多い理由とは?

物資の量を重視する人は、
所持金が少なくなりがち
…ってこと。

貧乏さんほど
物が多い…というよりも、
物が多い人ほど、
世間一般的な貧乏という表現
ピタリと当てはまりやすい
…ってこと。

収入の増加よりも、
物資の増加を優先した結果。

その結果こそ…
「貧乏という現象」と
「物が多いという現象」。

この2つの現象が
ほぼ同時に起こるから
「貧乏は物が多い」。

「物が多い」のは、
貧乏の習性ゆえの、
ひとつの結果に過ぎない。

貧乏の習性で生きると、
物が多くなるだけ。

お金持ちの習性で生きると、
物が増えないだけ。

ココは、
いろんな記事を読んでも
納得できなかった人の
終着地

物欲を喪失する覚悟の
ある人だけ、まずは、
ブックマークして下さい。

貧乏「だから」物が多い

…のではない

そこが原因じゃない…

…というオハナシです。

チョット、
長い話になります…。

貧乏の習性で生きると、
「物が多くなる」だけ。
「お金が増えない」だけ。

お金持ちの習性で生きると、
「お金が多くなる」だけ。
「物が増えない」だけ。

…それって、
どういうことか?

物が多い人は、
物を頼りに生活しています。

お金が多い人は、
お金を頼りに生活してます。

「財産の基準」が、
「物資」か?
「お金」か?

単に、それだけの違い。

「もったいない」の基準が、
「物資」か?
「お金」か?

単に、それだけの違い。

「貯め込みたい」のは、
「物資」か?
「お金」か?

「増やしたい」のは、
「物資」か?
「お金」か?

「自宅の財産」を、
「物だらけ」にしたい?
「お金だらけ」にしたい?

単に、それだけの違い。

どっちが悪いとか
どっちが良いとか
ないのです。

ただし、
裕福になるための
難易度に差があります。

ものすごい差があります。

この難易度の差が
貧乏ほど物が多い家に
住んでいる
傾向の理由であり、

物が多いと
お金持ちに
なりにくい理由です。

世の中のカラクリ
そうなっちゃってる
という話。

物が多いと
貧乏脱出の強烈な妨げに
なるという話。

…って、いうよりも、

物が多い」という、
「現象を引き起こす」が、

貧乏のままで居る」
ということ…。

所持金が少ない状態を維持する…
わざわざ、そういう状態を
目指して生きているということ。

それらのことは、
貨幣経済の構造上、
「とても自然な現象
であるということ。

物が多い人は
所持金を可能な限り少なくし…
貧乏のまま…って、
自然なことなのです。

自然な現象であることを
納得して頂きます。
あたりまえなことって、
認識しちゃってもらいます。

多分、この記事を
読み終えた時、
貴方の物欲は消え失せます。
それくらいに強烈です。

一定の物欲を保ちたい人には
ここから先には
読み進めないことを
強くおすすめします。

貧乏「だから」物が多い
…のではない。

貧乏「だから」物が多い
…のではなく、

「物資の量」が
「財産の基準」という
考え方だから」…

考え方って言うか、
「習性」だから…

結果として…

所持する
「お金が少なく」なり、
所持する
「物資が多く」なるのです。

性格じゃなくて、習性

所有する金額より、
所有する物量のほうを
優先してるだけ。

この状態が…
「貧乏は物が多い」という
表現にピッタリと
一致してしまう…。

こういう生活が…

財産の時価総額を高めに
維持するのが難しい。

あくまで「結果として」
…っていうオハナシです。

心の内面の問題…とか、
無駄遣いが多いから…とか、
物欲が強すぎる…とか、

…そんな短絡的な理由じゃ
納得できなくて当たり前
なんです。

心ってナニ?
無駄ってナニ?
物欲ってナニ?

そんな表面的すぎて
理由にもなってない
マヤカシじゃ
説明になってない。

なんつーか、
それで納得できないほうが
むしろ、知的と言えます。

この記事で、
モノとカネ、
量と質とコスパという
観点から本質を示して
ご覧にいれましょう。

「お金の量」ではなく、

「物資の量」こそが
「財産の基準」という
考え方だから」…

収入が上がっていかない
現象と、

所持する物資が多くなる
現象が、

同時に、かつ、
それぞれ独立して
並列に進んでいくと
いうことの証明です。

物資の総量と
お金の総量で…

どっちが自分にとっての
財産なのか?
どっちが優先事項なのか?
…っていう、
習性の違いがもたらす現象。

深い因果関係を
持っているのにも関わらず、
連携も連動もなく
独立して、
的に所持っていき、
発的に所持えていく…

「物資を買うため」に
お金を使う?
「お金を増やすため」に
お金を使う?

微細な額の足し算の人生か?
大きな率の掛け算の人生か?

人間の金銭感覚とか価値観は
大きく分けて2種類ある
…というお話です。

貧乏とか、裕福とかって…
実は「能力も性格も」
あまり関係ありません。

優秀で善良な従業員と、
無能で性悪なクソ社長で
どちらがお金持ち?

…その答え
っていうか、現実
ガッカリするほど
納得して頂きます。

「物が多い」という現象が
どれほどヤバイのか、
冷や汗が出るほど
納得して頂きます。

物が多い人が
貧乏になっていくのは
「結果として」
とても自然な流れだよな…
って、重厚に粛々と、
納得して頂きます。


ちなみに、この記事…
長文で難解です。
所要時間は小一時間

とりあえず、ココで
ブックマークしておいて
何回か分割して
読み進めることを
強くおすすめします。

このページを
時間をかけて
じっくりと読み、

理解したときに
起こる現象は…

貴方の物欲の消失と、

貴方の収入の激増です。

ここから先は、
後戻りできない
修羅の道となります。

この先に書いてあるコトを
理解しちゃった瞬間から
堕落と停滞を許さない
厳格な人になっちゃいます。

最終警告です。
マジで…
その覚悟がある人だけ、
進んでください。

貧乏が物が多い理由に納得。

だらしがないから
物が散らかっている…?

…そうじゃないんです。

そういうレベルの
ハナシじゃなく、
思考がもたらす
行動指針によるものです。
そこに、思考のロジックが
存在しているのです。

だらしがないとか、
几帳面だとか、
そういうのは「性格」で、

物が多くて貧乏とか
物が少なくて裕福とか、
そういうのは「習性」です。

性格」と「習性」って
違うんですよ。

だらしがないのに、
物が少なくて、
お金持ちの人は
ゴマンといますし、

逆に、
几帳面だけど
物があふれて
貧乏って人も
ゴマンと居ます。

お金が少ない人にとって
物が多くなるのは
習性であり、正義です。

お金持ちの人が
意図的に「物を少なく」
しようとしてるんじゃなくて、

お金持ちの「習性」で
生きてる人が
物が増えない「だけ」。

増やさないように
してるんじゃなくて、

増えないだけ。

貧乏さんが
意図的に「物を多く」
しようとしてるんじゃなくて、

貧乏の「習性」で
生きてる人が
物が増えていく「だけ」。

性格のいい人が
裕福なんじゃなくて、

お金持ちの習性の人が
お金持ちなだけ。

貧乏の習性で
生きる人の中にも、
性格の…
良い人もいますし、
悪い人もいます。

お金持ちの中にも
また、しかり。

「性格」は関係ないです。
「貧富の傾向」は、
「習性」によるものだから。

すべては「習性」によるもの。
「性格」じゃなくて「習性」。

習性を染め替えて
自らの意志で貧乏をやめる

物が多い家

お金持ちが
物が少ない理由

お金持ちが
物が少ない理由とは?

単に裕福に「なりやすい」
生活スタイルだからです。

裕福になりやすい
生活スタイルだから、
勝手に所持金が増えていきます。

そして、裕福になりやすい
生活スタイルには
物資の量は関係ありません。
だから物が増えない。
物量なんかどうでもいい。

これらが、
同時に起こっているだけ。

貧乏さんは、
物が多いっていうけど
お金じゃなくて、
道具を頼りにしているので
あたりまえですし、

お金持ち
物が少ないっていうのも、
物じゃなくて、
お金を頼りにしているので
あたりまえなんですよね。

物資と道具を重視するか?
お金と結果を重視するか?

物と、お金…
どちらに価値を
見出しているのか?

物を使うのが得意か?
お金を使うのが得意か?

単に、その違いなのです。

お金が少なくて
物が多い家っていうのは
単純に、「」を
財産の基準にしている人が
住んでいる家ってだけ。

物が少なくて
お金が多い家っていうのは
単純に、「お金」を
財産の基準にしている人が
住んでいる家ってだけ。

どちらが、正解か?って
問題でもないのです。

ただ…
能力が開花していない
若年層…

まだ、
保有する財産が少なく、
かつ、
人的資産価値が
発展途上の
社会人経験の浅い
若い人たちが、

物に頼る生き方を選択すると、
絶望的に、
裕福になりにくい
という…
「現実」があるだけなのです。

その反面、

お金に頼る生き方を選択すると、
能力に関係なく
裕福になりやすい
という…
「現実」があるだけなのです。

道具と結果

「道具」を買うか?
「結果」を買うか?

物資を重視して、間接的
道具」を買うか?

お金を重視して、直接的
結果」を買うか?

「移動」の考え方で
違いが顕著に出るんですけど…

物に頼る人って、
基本的に「道具」を
先に入手するんですよ。

車を買って、
ガソリン買って、
維持にお金を使って…
自分で運転して…

逆に、
お金に頼る人って、
直接「結果」を
買っちゃうのです。

タクシーとか、
電車バスとか、
結果が、お金で買えるなら、
すべて他人にやらせて
道具を持たないんですね。

「自炊」についてもそうで…

材料を揃えて、
道具を揃えて、
時間を使って、
自分で作ればいいって人と、

うまい飯は、
お金を使って、
そういう店に
行けばいいって人と、

やはり、別れちゃうのです。

お金を…
過程に払うか?
結果に払うか?

重ねて言いますけど
どっちが良いとか、悪いとか
そういうんじゃないです。

お金を使って、
「道具」を買うか?
「結果」を買うか?

道具を使って
「自分」でするのか?

お金を使って
「他人」にさせるか?

目的を達成するための
ルートが異なるってことです。

そこには、
どっちが好きか?
自分には、
どっちが適しているのか?

道具の使い方に
長けているのか?

お金の使い方に
長けているのか?

自分の持つ「知恵」は
どっちの方向に進めば
最大限、発揮できるのか?

道具を使って
自分の時間を使って
富を生むのか?

お金を使って
他人に時間を使わせて
富を生むのか?

売ってる加工品を
買わずに、
自分で加工して、その分の
コスト削減した差額を
富とするのか?

売ってる加工品は
買っちゃって、
自分は別の得意なコトで
利益を生み出すことを
富とするのか?

買わずに…差額。
買っちゃって…利益。

どっちが良い、悪いという
問題ではなく、

どっちもアリで、
どっちが得意か?

…っていう問題なんですね。

お金で…
道具を買って、
材料を買って、
自分の時間と、
自分の能力
出来上がりが
自分の技量次第
どっちかというと不確定
「結果」を追い求めるのか、

お金を払って、
他人の時間と
他人の能力で
他人に品質を保証させた
ほぼ確実
「結果」を買うのか、

どちらが
自分の目標を
満たしてくれるか?
って、ハナシなのです。

物が捨てられない

物を重要視する人の
最終到着点。
物が捨てられない

物を重要視する人は、
やはり、
道具」を使って
「富」を生むっていう思考です。

所有する道具の多さが
富を産むって考え方を
持っています。

さらに、
道具を使って「自分でする」
…っていう傾向もあります。

道具をたくさん持つことに
価値を見出しているので、
お金の使い方も…

たくさんの
物資を保有するために
使います。

お金より、物資に価値を
見いだしています。

お金を貯めるんじゃなく、
お金を使いきって、
物を貯めます。

お金…金額としての数値は
あくまで、中間地点であり、
最終的には、
実際に物資を買い付け、
物資の総量を
財産の基準とします。

そして、
その膨大な物資を
保有するために
大きな土地を選びます。
広い部屋などです。

そのために、
郊外の安くて
広い部屋を探します。

郊外なので
移動のための車を保有します。

郊外で生きるには
ますます、
道具を使って、
自分でするっていう
思考が強くなっていきます。

周囲の人口が少ないし、
お店も少ないですしね。

このタイプの人は、
あんまり
現金が必要ありません。

道具を使って
自分でするので、
あんまり
現金が必要ないのです。

実際問題、
自分の時間を使って、
なんでも
自分でやろうとするので、
就労に時間や体力を割けず、

自然と、
現金収入の上限に制限
かかっていき、
少しずつ低収入の方向へ、
傾いていきます。

でも、
基本的に、生活スタイルが
自給自足に近いので、
現金があまり
必要ないんですけどね。

だから郊外に住むことが
向いているんです。

現金収入は頭打ちでも、
そもそも、生活のコストが
少なくて済む…。

道具と材料と時間と能力
を使って、自分で出来る。

お金の流れから
遠く離れても、
自分のチカラで
生きていけるのです。

自給自足が大好きなのです。

物欲とは違う基準

お金を重要視する人の
最終到着点。
物欲とは違う基準

物より、
お金を重要視する人って、

お金を使って
「結果」を買ってしまいます。

例えば、
工具とか、物質的な
道具を保有する必要を
感じてないんですね。

そして、
お金を使って
「他人」にやらせます。

そして、
他人にやらせた
「結果」を買うと同時に、
「自分の時間」を得てるんです。

そして、
「得た自分の時間」を
売って、
また現金を確保します。
まぁ、就労ですよ。

使ったお金より、
売って得たお金が
多ければOKって生き方です。

そのために
「知恵」を使います。
そのための
「知恵」を磨きます。

もっと言うと、
「利益」を「買って」
生きてるんですね。

逆に言うと、
生きるために必要なコトって、
「利益」を「買って」れば、
なんとかなるのです。
それで、なんとかなる
世界なのです。

ってゆか、
利益を買ってると
赤字にならない。
黒字化しかできない。

もともと、
赤字にならない生き方
…をしているのです。

わざわざ、
「損失」を買わない限り
赤字になんて、
なりっこない。
って、考え方なのです。

100円しかないから
90円だけ使う…
額の10円を貯金する…

…のではなく、

100円しかないけど…
いや、
100円しかないからこそ、
100円払って、
150円分の収入を得られる
時間を作るのです。

得られた50円が
余った益です。

差額じゃなくて利益。

その場の差額でなく、

のステップでの、
を生むアクション。

微細な額の足し算より、
大きな率の掛け算

…もちろん、
厳密な数学的な
ハナシじゃなく、

「心意気」とか
「感覚」とか
「方向性」の
ハナシね…。

ウサギ」と「カメ」の
例じゃないですけど…

利率のための
次のステップが
止まらない「ウサギ」と…

スタートラインの手前で
差額に悩み、いつまでも
うずくまった「カメ」…

止まらないウサギと、
動かないカメ…

それって、もう…

レースになってない…
勝負になってない…

これがそのまま、
人生の難易度の差

「差額」の「足し算」と、
「利率」の「掛け算」では、
「勝負」にならない。

圧倒的な開きがあって、
個人の能力の差とか、
性格の良し悪しなど、
誤差範囲の枠を出ない。

ウサギとカメが
逆だとしましょう…

止まらないカメと、
動かないウサギ…

「動かない」「側」に
勝ち目はない。

童話では、「動かない」側に
勝ち目はない…っていう
教訓になってますね。

止まったウサギの負け。

ウサギとカメっていう、
能力の問題ではなく、
「止まらない」と
「動かない」の差。

差額と利率の差。
視点の差。

能力の問題ではなく、
習性の問題なのです。

でもね、実際の世の中は…
酷なようだけど…

「利率・止まらない」の
習性のヤツは
「ウサギ」みたいな
ヤツが多くて、

「差額・動かない」の
習性のヤツは、
「カメ」みたいなのが
多いだけ…

童話では…
能力でかなわなくても、
「動いた方が」勝ち目があるよ…
「止まった方が」負けだよ…
っていう…
「キレイゴト」を言いたいんで
しょうけど…

実際は能力の高いヤツほど
機敏で…
能力の低いヤツほど…
愚鈍なんですけどね…。

少々ハナシはそれましたが、
要は、
大きな率の掛け算

そのためには
当然、
郊外は不利で都心部が有利。

人が、たくさんいて、
店が、たくさんあって、
対価としての、
お金がグルグルと
回っていて、

買う人、売る人が
たくさんいないと
成り立ちません。

自分に、たくさんの…

お金を払ってくれる他人

…が必要で、

自分にとって、
たくさんの…

お金さえ払えば、
都合よく利用できる他人

…が必要なのです。

単独の能力で
生きるためには、
Give&Takeしかなく、
つまり、街中だったり、
都心に定住するのが
都合がいい。

だから、
選ぶ部屋も
広さ、安さでなく、
立地」なのです。
利益が得られる場所です。
売ってる「利益」を、
簡単に買える場所。

広くて、
安くて、
郊外の
部屋を選んじゃうと、

生きるのに猛烈に不利で
死活問題なんですよね。

先ほど、
物を重要視する人は
道具と材料と、
「自分一人」…
…という基準でしたが、

お金を重要視する人の
最終到達点は、

「お金」を道具とし、
「他人」を制している。

「お金」次第で、多くの
「他人」を動かせる。

「道具」に対して「お金」
「材料」に対して「他人」

場合によっては、逆に、
「道具」に対して「他人」
「材料」に対して「お金」

「他人」を道具とし、
「お金」で動かしている

「お金」で自分の時間を
使うことなく直接的に
「結果」を手にする。

お金で、同時にいくつもの
コトガラ、案件を
並列に動かせるように
なります。

そうすると、
そこから得られる利益は、
比較的…
…っていうか、
莫大なものに
なります。

道具と材料と、
自分一人で…
…っていうのとは、
ぜんぜん違う次元の
成果を得やすいのです。

完全に、思考の基準が
「物」じゃないんです。

このプロセスの中に
物欲って含まれてない。
物欲の出番がない。
っていうか、
そもそも、
物欲っていう概念を
持ち合わせていない。

物欲の概念がなさすぎて、
「物欲ってなに?」
って言われても
ピンと来ない人たちです。

自分のために
他人を動かす。
たくさんの他人を動かす。
そのための…
道具が「お金」なんですよね。

人によっては、
他人を動かす材料、
他人を動かす燃料が
お金という認識かもしれません。

道具と材料と時間と能力
…を使って、
「自分で」やるべきことを
お金を使って、
「他人」にやらせる…

感覚的に、
お金が道具で、
他人が材料なのです。

場合によっては、逆で
他人が道具で、
お金が材料かもしれません。

タイプによって、
人を制するために
お金を使うのか、

人を制した後に、
お金で動かすのか…

お金を「道具」とするか
お金を「材料」とするかで
若干の違いはありますが、

いずれにせよ、
ここには、
自分の「時間」と、
自分の「能力」って、
必要ないのです。

自分の時間と能力を
使わないで

目的を果たしているのです。

お金のカラクリ…
いわゆる「経済」と、

他人を制する…
いわゆる「制度」を使って

目的を果たしているのです。

つまり…

自分でやる…んじゃなくて、

仕組みで考える。

自分が出来るようになる
努力をするんじゃなくて、

自分がしなくてもいいような
仕組みの中に身を置くことを
努力する。

仕組みを作ったり、
すでにある
仕組みを利用したり
組み合わせて、

そこに、
他人をぶっこんで、

いくつも「並列」に
物事を進めて、

「同時」に多くの
物事を進めて、

一人でやるのとは
「別次元の利益」を
捻出しているのです。

自分でやる…んじゃなくて、
あえて、自分でせずに、
大勢の他人が
できるような
効率的な仕組みを
構築する…。

そうすることで…

自分一人では
到底、得られない時間と、

自分一人では
到底、得られない能力で

自分一人では
到底、得られない結果を
作り出しちゃうんですね。

しかも、これらを
「意識せず」に
やっています…

「お金と時間」を重視する
生活スタイルって
こうなっちゃうんです…。

そして…

コレって…
なにかに似てません?

そう、会社の経営者です。

で、
「材料と道具」を与えられ
「時間と能力」を使わされる…
「側」…

それって?
そう、従業員なんですね。

「会社」っていう仕組みの中で、
「従業員」っていう他人を使って
「別次元の利益」を捻出する
「経営者」の立場になりやすい。

お金持ちになりやすい「傾向」
っていうのが、納得できると
思います。

今の時代、
お金を重要視する生き方は、

本人が望む、望まないに
関わらず、

社会や集団の上層に
向かっていきやすいんです。

道具と材料と時間と能力
…を使う「側」の人たちが、

勝手に、
上層に押し上げてくれたり、
就職というカタチで、
自ら下層に属してくれるんです。

それほど積極的に、
「裕福」になろうって
強く思ってなくても、
苦もなく、順調に成長し、
貧乏から疎遠になりやすい。

なんにも考えてなくて
努力とかしてなくても、
貧乏から遠ざかっていくのです。

なんにも考えてなくて
努力とかしてなくても、
人の上に立つ側
に、なっていってしまいます。

這い上がってるワケじゃなく、
知らないうちに上層に
君臨してた…

気づいたら、なっちゃってた…
…って人が多いんです。

貧乏が物が多い理由

難易度が高いのは
どちら?
貧乏が物が多い理由

「お金を増やすため」に
お金を使う人よりも、

「物資を増やすため」に
お金を使う人のほうが、

千倍とか万倍
お金持ちになるのが
難しいだけ。

だって、
お金の総量の問題じゃなく、
物資の総量が目的
だったんでしょ?

物資を増やすために
お金を使ったんならば、

そりゃ、物だらけになって
お金が減るよね。

ってゆうか、
それって、あたりまえだし、
望みどおりの結果じゃね?

望みどおりの
お金の使い方をして、

結果、望みどおりに
物だらけになって、

その分、お金が減って…

なんの不満があるの?
どこが不安なの?

望みどおりに、
物資を大量に抱え込めて、
目標達成じゃん?

私たちは…

なんでも生産できる工場
保有しているわけじゃない。
そんな技術もないし、
そんな知識もないし、
そんな財力もない

なんでも生産できる農地
保有しているわけじゃない。
そんな技術もないし、
そんな知識もないし、
そんな財力もない。

ないない尽くしで
基本的には
一人では何も産み出せない。

工場も、農地も持ってない…。
知識も技術も財力もない…。

つまりですね…
今の時代…てゆか、
はるか太古の昔から…
「道具」と「物資」に頼り、
なんでも「自分で」やろうと
する生き方は…

とてつもなく
難易度が高いのです。

だって、
広大な土地があって、
知識があって、
技術があって、
技能があって、
体力があって、
時間もある…

そんな人っていないんですよ。

生まれながらの
農業の天才で、
生まれながらの
工業の天才で、
体力バカで、
暴力も強くて、
しかも、
生まれたときから大地主って、
ほとんどいないのです。

そんな戦国大名の
二代目御曹司みたいなヒトって、
割合的には極めて少ないのです。

一般の凡人には
ありえない境遇です。

その反面、

一般の凡人が
生きていくには、
街中で
「利益」を「買って」
生活するほうが、

すさまじく
難易度が低いのです。

貨幣経済のシステムって、
能力が低い人間でも
カンタンに、それでいて、
裕福になりやすい
システムであり、

大昔の偉人さんが発明した
すさまじく都合のいい
システムなんです。

つまり、物流システムと、
貨幣経済が充実した
現在では、

物より、お金を
重要視したほうが、
圧倒的に生きやすいし、
難易度も低いのです。

つまりは、
貧乏になりにくい。

貧乏は物が多い
っていうのも、
財産を増やすのに
難易度の高い生き方を、

わざわざ、
選択してしまった結果
だし、

金持ちは物が少ない
っていうのも、
財産を増やすのに
難易度の低い生き方を
選択した結果なのです。

スタートが、
貧乏に「なりにくい」
生き方を選択したか、
否かの差でしかない。

たしかに、
江戸時代とかなら
通貨の信用も低く、
使い道も薄く、

当時は、
鉄道や自動車が
あったワケでも
ありませんから、
物流にも限界がありました。

不作や情勢不安に
陥ったとき、
大判、小判のような
通貨はあっても、
食べ物が手に入らない…
生きていけない…

お金はあっても、遠方から
物資が届かない…

直接的に、
物資や食料を保有したり、
生産手段や農地を
所有するほうが
裕福であった時代も
あったでしょう。

通貨として、
金貨、銀貨よりも
「穀物」のほうが
信用できた。
そういう時代。

単純に時代と経済の問題。
時代遅れで経済未発達で
暴力至上主義のような…

例えば、
長らくの内戦状態の国とか
人命より物資を尊重する大陸とか
南北半島みたいな
法治と嘘の概念のない
独裁集団とか…
通貨の信頼性がゼロ。
生産能力がゼロ。

不幸なことに
知的生命体である「人間」の
文化知的レベルに
まだ至っていない
発展途上の霊長類の集団が
生息する地域も存在します。

そういう地域へ行けば
依然、物資重視のほうが
圧倒的に強い。

でも、現在の日本は違います。

現金の方が、
価値の変動に強く、
なんにでも変えられ、
通貨として、
ふさわしい反面、

物資のほうが、
価値の下落が激しく、
価値が定まらないのです。

今の時代、今の日本では、
現金を保有するほうが
ロスがほとんどなく、

なーんにも考えなくても、
価値を保有しやすい反面、

物資で保有してしまうと、
どんなに賢くたって、
価値を維持することが
ほとんど不可能なのです。

どっちが、
裕福になりやすいかなんて、
一目瞭然ですよね。

現金で価値を保ったまま
保有するか、

物資を買って、再販価格が
すごく下がった状態のまま
保有するかの差なのです。

物資に中古の概念はあっても、

現金…紙幣や硬貨には、
中古の概念はないのです。

そして、ここまで
読んでくださったのなら
なんとなく、
お分かり頂けたと
思いますが…

物資重視の貧乏さんは
物資を買うために
お金を使うのですけど、

お金重視の裕福さんは
お金を増やすために
お金を使うのです。

物資を買うためと…
お金を増やすため…

どっちのお金の使い方
裕福になりやすいのか?

もう、答えは
出ていますよね?

お金の使い方が違うから、
行き着く先も違うのです。

あくまで、
貨幣経済と物流システムが
充実した、現在の日本に
限ったハナシなのですが…

物資の総量を増やすために
お金を使うという生き方は、

お金の総量を増やすために
お金を使うという生き方よりも、

裕福になるための
「難易度」が
ぶっちぎりに高いのです。

コスパとは?

超ハードモードを
選択してませんか?
そして…コスパってなに?

お金がないから…

安い材料を買って、
道具を買い揃えて、
自分の時間を使って、
自炊する…。

広くて安い部屋を探す…。

そのために
郊外に住む。

そして、通勤のために
自動車を所有する…

時間をかけて、
自分で運転する…

それって、
よりにもよって
難易度が高いほうを
選択してませんか?

自分の
「お金と時間」を
使い切って、

物資の山を築こうと
してませんか?

物資の山っていう
「財産」を
築こうとしてませんか?

もしくは、
すでに、どっかの企業が
超高効率、超低価格で
生産している工程を、

わざわざ、
自分でしようとする

四角い車輪の再発明
してるだけじゃ
ないですか?

「道具」を使って
「自分」でする…
って生き方は…
お金を増やすのが難しい
…のです。

お金の使い方
お金を増やすためじゃない
からなのです。
物資の山を築くために
お金を使っているから…。

物資の山が、お金の山に
すぐに替わるのなら
いいのですけど…
今のご時世、
ほとんど、その可能性はない。

物資重視の生活スタイルは
社会人の初期段階での
蓄財方法としては
カナリ不利なのです。

超ハードなルートに
まだ若くて、
能力的に未完成で、
稼ぎが悪いヒトが
進んじゃって、

生き残れます?

カナリ難しいでしょ。

だからこそ、
難易度の低い、
しかも、裕福になりやすい
ルートを選ぶほうがいい。

「利益」を「買って」
生きていくほうが、
難易度が低いし、
のほほん…と生きてても、
ほっとけば、富も財産も
増えていくんです。

そのための、「知恵」を
身につけるほうが、
圧倒的にラクで、
現実的なのです。

お金を使って、
他人にやらせた結果を買い、
浮いた時間で
自分の得意なコトをして、
より多くの現金を得る…。

こっちのほうが、圧倒的に
ラクなのです。

道具に頼る生き方は、
自分自身の能力が
全知全能」の
万能選手であることが必要で、

お金に頼る生き方は、
自分自身の能力が
1点だけ」あればいい。

これだけ、難易度に
差がでるのです。

この難易度の差が、
財産の時価総額に
ジワジワと現れてくるのです。

物に頼る…、イコール、
自分の能力に頼るって
生き方なのです。

お金に頼る…、イコール、
他人の能力を利用するって、
生き方なのです。

物と自分の能力に頼る
延長には…
誰にも支配されない生活。

お金と他人を利用する
延長には…
大勢を支配する生活。

誰にも、
支配「されない」と

多くの人を、
支配「する」は

同じようで
微妙に違いますよね。
…いや、全然違いますよね。

あくまで、
「傾向」ですけど…

支配されない…は、
なんだかんだ言って、
そこそこ、貧乏なんです。
そこが、上限。

支配する…は、
なんだかんだ言って、
そこそこ、裕福なんです。
そこが、下限。

上限が、貧乏…と、
下限が、裕福…。
この、「差」を
どう、とらえる?


に頼る人は、現金という
通貨を信用せず、
際限なく、物に換えて
保有しようとする。

だから、安いもの、
使うかどうかも
分からない物でも、
大量に買っちゃう。

自分の時間を
使いまくっても、
所持するお金を
使いきってでも、

安い物を大量に買っちゃう。

財産の基準は、
あくまで、
「物」と「量」だから。

お金と時間を使い捨ててでも、
「物」を財産とします。
「量」にこだわります。

すべては、物資の量のため…

逆に、
お金に頼る人は
物を所持することで…
保管に場所を使うことを
極端に嫌います。

使ってなくても
コストが消費されること、
その物を使うことで
自分の時間が消費されること、

これらを極端に嫌います。

財産の基準が、
「お金」と「時間」だから。

物を使い捨ててでも、
「お金と時間」を財産とします。


物に頼る人は、
もったいないの基準が…
「物」になってます。

まだ使えるんだから
もったいない…。
例え、
それが2度と使わなくても。
それを所持することで
コストを垂れ流しても。

お金に頼る人は、
もったいないの基準が
「お金」と「時間」。

自分でやる時間が
もったいない…
その時間のせいで
得られたはずの利益を
放棄してしまうのが
もったいない…

使うかどうかも
わからない物に
コストを消費されることが
もったいない…。

なにかを、
「買う」ときの
基準も別れます。

物やサービスを
購入するとき、
物資を基準とする人は、
「量」の多さに価値を置き、

より多くの
量を得るために、
「安さ」も基準とします。

お金と時間を
基準とする人は
自分の価値が高まる
「質」に価値を置きます。

量なんか関係ないのです。
量なんて基準は
1ミリたりともない。
量に欲求が
刺激されないんです。

ゆえに「安さ」も
優先順位が低い。

量と質
重視するタイプも
完全に2極化します。

「安さ」に対する
優先順位も
全然違う…。

お互い、
相容れない価値観と
なります…。

物が、もったいないのか?
時間が、もったいないのか?

道具を使って自分でするのか?
お金を使って他人にさせるか?

物資を買うために
お金を使うのか?

お金を増やすため…要は、
利益を買うために
お金を使うのか?

お金の「使い方」
違うんです。
お金を使う「目的」
違うんです。
お金に関する「認識」
違うんです。
お金に関する「習性」
違うんです。

180度、真逆のごとく
違うのです。
だから、そこから派生する
全ての価値観も真逆になる。
全ての行動も真逆になる。

ゆえに、
行き着く先も真逆になる。
属する階層も真逆になる。
気持ちいいくらいに
クリーンな真逆です。


…察しのいい人は、
ここで、チョット矛盾を
感じるかもしれません。

あれ?

「物資」を重視する人ほど、
「価格」とか「安い」を
重視するの…?

…そのとおりなんです。
理由は、
財産の基準が
「物資」の「量」だから。
物資を多く所有するための
物資の単価を要求するから。


あれ?

「お金」を重視する人ほど、
物資の「質」を重視するの…?

…そうなんです。
理由は、
財産の基準が
「お金」と「時間」だから。
お金と時間を生み出すための…
もしくは、
お金と時間を
無駄に浪費させないための…

物資の質を要求するから。
そこに「量」は関係ないし、
「単価」も全く関係ない。

え?

お金を重視することは、
価格を重視しない
の?

そのとおり。

重視するべきは、コスパ
費用対、効果。
すなわち「質」。

だから、

「安い」を
「追っかけ」ない

そんな発想すら起きない。

え?

物資を重視することは、
質を重視しない
の?

そのとおり。

重視するべきは、
費用対、量。
すなわち、
単価であり「安さ」。

だから、
「安い」を
「追っかけ」のです。

そこに必死になるのです。


あれ?

「物資」重視こそ、
物資の「安さ」を重視し、

「お金」重視こそ、
物資の「質」を重視する…

物資に対して…
価格の安さ…

お金に対して…
物資の質…

…なんとなく、

矛盾してるでしょ?

でも、コレ…
矛盾じゃ、ないんです。

だから、
貧乏さんは「物資の量」を
重視し、単価…つまり、
「安さ」を重視する。

お金持ちは
「お金と時間」を重視し、
結果として、物資の
「質」を重視するのです。

…って言い切ってみましたが、
まだ語弊がありますね。

真理を言うと…

物資の量を重視する
心理状態」だから
単価を要求し、
所持金を使い果たしてでも
物資の量を維持する…
その結果、
所持金が常に低い。
人間の多くは知能が高いので
心理状態に従って
勝手にそうなる。悲しいことに
自然とそういう行動をする。

逆もしかり。
お金と時間を重視する
「心理状態」だから
物資の量と単価は関係なく、
物資の質(効果=コスパ)の
高いモノを当然ごとく選択し、
結果として、
払うお金の数倍数十倍が
常に入ってくることで
いつもお金があふれんばかりに
余っている。

ガッカリしちゃうんだけど…
すべては…「心理状態」であり、
心の持ちよう。

実は極めて、単純なのです。
お金を重視するかしないかで
所持するお金の量が決まり、
物資を重視するかしないかで
所持する物資の量が決まる。

ゆえに、
結論は以下のごとしです。

貧乏は「安さ」
お金持ちは「質」

…結果だけ、見ると
なかなか、すぐには
ピンとこないかもしれませんが

こうやって
そこに至るプロセスをみると
納得せざる得ないでしょ?

ここで、そのプロセスを
復習しますと…

貧乏は、
物資重視の習性から
物資の単価を重要視するので
「安さ」
「追」求するだけ。

お金持ちは、
お金と結果を重要視するから
物資の「質」
「要」求するだけ。
安さとか単価は
判断基準に無い。

追求と、要求の違い…
自分から
追っかけちゃうのか、
他人を
引き寄せちゃうのか。

貧乏さんは
物資の単価重視。
お金は減っても、
物が増えれば良し。
物資の山を築くために
お金を使う。
そういう心理状態。

お金持ちは
利益増の結果を重視。
お金を増やすために
お金を使う。
そこに物資の量だの
物資の単価だのは
判断基準に存在しない。
そういう心理状態。

貧乏さんの言う表現は「買う」。
モノを買う。
安いほうを買う。
安いモノを買う。
「安い」こと。
効果は眼中になし。
それが彼らのいうコスパ。

お金持ちの言う表現は
手に入れる」。
「買う」ではなく「入手」。
良いほうを手にする。
良いモノを手にする。
「良い」こと。
効果こそが、すべて。
それが彼らのいうコスパ。

そこに入口の価格は関係ない。
出口の効果しかみていない。
入口が高価であっても問題ない。

「買う」と「入手」の違い。

安いほうを買って、
悪いモノを入手しちゃうのか?

単純に良いほうを選んで、
良いモノを入手するのか?

「買う」と表現すると
「安い」ほうがいいと
勘違いしやすい。
「払いたくない」感覚が先行。

「入手」と表現すると、
悪いモノを避け、
良いモノを選択しやすい。
「良い効果」の感覚が先行。

「高い」ほうを買うよりも
「安い」ほうを買うのが
正義という勘違い

悪いモノを入手するより、
良いモノを入手するほうがいい
という当然の正解

どちらが、良い悪いの
問題はではなく、
どちらが裕福に
なりやすいのか?

単に難易度の問題。
心理状態の問題。

当の本人が
どちらの思想で
生きていくことを
選択するのかという
問題なのです。

選択の自由。
これこそが、
資本主義であり、
自由主義なのです。


私も底辺貧乏だったので

お金持ちは「質」…と
言われても…

いやいや、そうは言っても
多少は、「安さ」も
考えているんでしょ…?

って、思っていましたが、
実際のお金持ちって、

マヂで安さなんか
気にしてない。

そういう基準がないんです。

お金があるから…って理由で
高価なものを選んでる
わけじゃなく、

質が高くて
利益になるもの
選んでるだけなんです。
そこには「安い」っていう
基準はないのです。
もう…、単純に無い。

「効果」があるモノ選んだら、
「たまたま」、それが、
「高価」だった
「だけ」なんです。

究極な話、

効果のあるモノは
高価なだけ。

高価なモノは
効果があるだけ。

効果高価って、
ほぼイコールなんです。

イコールなだけ

ほぼ、イコールなので、
あんまり深く
考えなくてもいいんです。

高価なモノを買っても、
それ以上の効果を
生み出すので
赤字にならない。
黒字化しかできない。

生み出すっていうか、
勝手に生み出されるだけ。
高価、イコール、
効果だから。

だから「安い」を
追っかけないし、
追っかける必要もないし
追っかける概念を
持ち合わせない。
そういう概念が
単純に、無い。

…で、↑このことを
ド底辺の私は
なかなか理解できなかった…
「単純に無い」っていう、
この感覚について
なかなか理解できなかった…

理由があるから、しない
…のではなく、

理由がないから、しない
…のです。

「安い」を追っかけちゃ
「ダメな理由がある」から、
「安い」を追っかけない…

…のではなく、

「安い」を追っかける
「意味がないから、
「安い」を追っかけないだけ

単純に、意味が無いだけ。

「理由」が…
「あるから」じゃなく
「ないから」ってだけ。

払った以上に稼ぐ…
っていう、
「利率の掛け算」を
してるだけ。

安い単価を追っかける
「差額の足し算」を
しないだけ。

単純に「しない」だけ。

底辺だった私には
この感覚…
「意味が無い」
「しないだけ」

意味が無い事をしないだけ。

これらが、
なかなか理解できなかった…。

私ってば、
マジで選ばれし底辺で、
底辺の達人だったんです…。
いわゆる「餓鬼」でした。

経済とか制度とか
文化文明的な思考から
かけ離れ…

単に、目の前のモノを
狩猟本能だけで
刈り取ろうとする
飢えた子鬼のような存在…

道理もへったくりもなく、
ただ単価を追うだけの存在。

つまり、
私のような底辺とは、
すなわち「餓鬼」

利率の掛け算をする
多くのお金持ちにとって、
差額の足し算は、
効果が薄すぎて
意味が無いだけ。

意味が無いから
しないだけ。

私のような底辺は、
利率の掛け算をする
知恵が無いから、

差額の足し算を
するしかなかっただけ。

だから、
物資の単価に固執するだけ。
物資の単価に固執した結果、
物が多いって状況を
招いただけ。

貧乏さんは、
コスパを無視し、
単価を重視する。

お金持ちは
単価を無視し、
コスパを重視する。

入り口の単価と
出口のコスパは
ぜんぜん別物。逆のモノ。

私生活において、
単価や差額を
追いかけることは…

実はコスパを無視してる。

…っていうコトを

どの「タイミング」で
気づけたか?

もっというと、
どの「年齢」で
気づけたか?

私生活において
単価や差額を追っかけると
中期長期のスパンでみると
実はコスパをゼロ以下に
しているってコトを、

どの年齢で気づけたか?

差額思考はマイナス成長を
実現させてしまうことを
どの年齢で気づいたか?

もっというと
「体験」したか?
「その体験を検証」したか?
「検証結果」に納得できたか?

気づいた年齢が
若いほど有利になるし、
遅れれば、どうしても
不利になる。

というか、
取り返しがつかなくなる。
手遅れになる。

ここまで来ると、
コスパって、なに?

この答えが見えましたよね?

そして、このコスパって…
結構、怖いコトバでして…

コトバの解釈で
人間の思考や格式が
バレてしまいます。

コスパって
費用、対、効果。

入り口の費用…
つまり、
「単価」に対して
出口の「効果」。

コスパと聞いて
安さを連想する人…
費用、単価、安さを
優先順位にあげる人は
どういう思考や将来性の人か?

コスパと聞いて
利益を連想する人…
質、効果を
優先順位にあげる人は
どういう思考や将来性の人か?

いわゆる
資産価値の高い人材…
給料が上がっていく人とか、
商売で儲かっていく人とか、
経営陣とか、会社の上層…
そういう人たちって、

コスパ、イコール、安さ
って思考の人を
トコトン、排除するのです。

単純に、
考え方が真逆の人なんか
仲間内に
入れないようにします。

仲間に入れちゃうと効果が
「安く」なっちゃうので…。

キツイ表現ですが
人としての格式の階層が
違うと判断されます。

コレ、30年近く、
底辺で生きた私の結論です。

反面、
コスパ、イコール、
利益の多さ。

コスパ、イコール、
効果の大きさ。

こういう思考に
切り替わった瞬間から

資産価値の高い人たちからの
自分を見る目が変わります。

要は、仲間の候補になる…
付加価値の高い業務を
上司から与えられる…
給料が高い業務へ異動する…

コレ、30年近く、
底辺で生きた私の結論です。

こんなふうに、
コスパってコトバの
解釈で、その人の
力量とか格式が
判断されてしまう…
っていうか、
バレてしまうのです。

ちょっと、コワイでしょ?
でも、これが現実なんです。

だからこそ、アナタには…
このことを、
できるだけ、若いうちに
…理解して欲しいと思います。

でも、すぐには
同意できない人も
いらっしゃると思います。
それが、普通なので。

と、いいますのは
基本的に、
このことを理解するのに
「時間が、かかる」のです。

すっごい時間がかかるのです。
時間…年単位…
すなわち、年齢を重ねないと
なかなか実感できない…。

私は26才頃に
なんとなく気づいて…
理解するのに28才頃…
要するに2年かかりました。

ぶっちゃけ、
この、価格と質の関係のコトを
理解しているか?
していないか?…が、

年収300万円のラインだと
思ってます。

年収300万以下でも、
このことを理解していれば
いずれ、年収300万、400万と
上がっていくし、

今現在、年収500万以上でも
なにかの拍子で失業した場合、
年収額が低い仕事にしか
従事できない人の

思考のラインだと思ってます。

でも、
年収400万円、500万円の人は
実際問題、この思考を
99.99%クリアしています。

でなきゃ、
それだけの付加価値の仕事を
できるワケ無いんです。
任せられるワケ無いんです。

逆に、
年収300万円以下の人は、
ほぼ、この考え方を
持っていません。

持っていないから、
利益を出せない。
出せないっていうか、
出そうとも、思ってない。

できることは
微細な差額を生み出す
コストダウンの対象に
されることだけ…
だから、給料を買い叩かれて
年収額が低い。

もしくは、
大きな利益を生み出すべき
年収額が高い役割を
任せられていないのです。

年収300万円って言いましたが、
コレ、絶対的なモノではなく、
相対的なモノなのですね。

人の身分
というか、階層の境界線

それが、たまたま、
現在の相場で、
年収300万円ってことなのです。

私自身が、筋金入りの
ド底辺だったゆえに、

痛感したことです。


この2つの生活スタイル…

「物資」を重視するか?
「お金」を重視するか?

どちらの生活スタイルを
好むのか?
自分の本来の目的を
達成するために、
どちらが有利か?
適しているか?

若年層で、まだ十分な
給料を得られないヒトは、
能力的に「全知全能」に、
ほど遠いワケですから、

物に頼る生き方…

材料を買って、
道具を買って、
自分の時間を使って、
自分の能力を使って、

しかも、
うまくいくかどうかも
わからない「結果」を
追い求めるのは、

難易度が高いんですよね。

「材料と道具」には、必ず、
「時間と能力」をつぎ込んで、
加工しないと、「結果」に
ならないんですよ。

自分の能力が
低いうちは、「結果」を
直接、買っちゃったほうが
ハズレがなく、

カンタンなのです。

家の中で、
材料と道具と
自分の時間、1時間を使って
300円分のコスト削減、
節約効果を
がんばって出すのと、

外で1時間分の
就労をして
時給1200円を得るのとで、

どっちがいいの?
ってハナシ。

クルマを使って
1時間かけて
通勤するのと、

会社に近い都市部に住んで、
その1時間を
就労にあてるのと、

どっちがいいの?
ってハナシ。

自分の「1時間」を

微細なコスト削減に
使うのか?

大幅な収入増加に
使うのか?

自分の「1時間」の価値は
300円って、決める?
それとも、
1200円って、決める?
自分としては、
どっちに決める?

裕福になりたい人
選択はどっち?
裕福になりたくない人
選択はどっち?

こんなカンジで、
順調に蓄財が進んでいる
若年層が、
都心に留まっている理由が、
なんとなく見えてきたと
思います。

郊外に進んでいいのは
蓄財が終わって、

すでに裕福になった状態で、

なおかつ、
実力が身について
全知全能に磨きがかかった
年代になって、
初めて現実的になります。

平均をはるかに凌駕する
年収を安定的に継続的に
得られるようになって、

裕福な家庭が築けるように
なってから
考えるべきなのです。

人によっては、
子を育てる環境として、
戦場から遠く離れるって
意味合いで
郊外を目指すんです。

つまり、
稼ぎが悪いヤツには、
10年早いってコト。

稼ぎが悪いなら、
まだ、戦場から離れちゃ
ダメなんです。

郊外の大きな御屋敷の
お金持ちって、
お金持ちになったあとに、
御屋敷を所有しているワケです。

元々、大きな御屋敷を
所有していたんじゃない。
そもそも、
元々、所有していたなら、
それって、生まれながらの
大地主ってだけです。

ですから、
お金がないから
郊外の安い物件を
探すっていう
生き方は、

どっちかっていうと、
より…人生を難しくしている
ってことなんですよね。

順序が逆だと、
難しくなる。

やっぱり、
逆行は難しいのです。

非効率すぎて、
圧倒的な能力がないと
うまくいかない。

難しいから、
うまくいかない。

うまくいかない人が多い
っていう状況が
貧乏さんの
人口が相対的に多いってコト。

難しい生き方を
選択しちゃったので、
悪戦苦闘して
生活が「ゴチャ」として
チョット
行き詰まってるんです。
この苦境が「貧乏」の状態。

そして、
「貧乏は物が多い」
…っていう表現に、見事に
当てはまっちゃうのです…。

もちろん、生活に関する
事柄のすべてではないです。

あくまで、
「傾向」ってだけ。

料理が得意だったら、
自炊すればいい。
自動車を所有することに
ある種の楽しみや
価値を見出しているなら
それでもいい。

そういうことを
否定しているワケでは
ないです。
良い効果があるなら
むしろ、所有すればいい。

お金と時間を
重視する生活は
「良い効果」が
最優先なので。

お金と時間を重視する生活は
道具を持つことを
否定しているワケじゃなく
良い効果を優先することなので。

「良い効果」が最優先。
「良い結果」が最優先なんです。

でも、
平均を大きく下回る年収…
年収350万円以下であるなら、
物と、自分の能力に頼る
生き方は、
時期尚早の傾向があります。

生活コストを削減した
微細な差額を追い求めるより、
伸びしろのある
収入を増やすことを
優先したほうが、
効率のいい時期だと思います。

つまるところ、
難易度とは、効率のことです。

効率のことを考えると、
先に、平均的な年収を
得る方法を考えたほうが
よろしいと思います。

つまり、自分のレベルを
上げるのが先です。
そのための自己投資が先。

特に若年層で、
低所得の期間が長く、
生活コストの削減を主体に
生きてきた場合、
20代の後半で気づくと思います。

削減していたのは、
生活コストだけじゃなく、
自分の現金収入そのものと、
自分の可能性だったってことに。

若いころの
目的を見失ってる
過度の節約って、
減収と没落の始まりなんです。
削っていたのは、人生だった
ってことに、
なりかねないのです。

他の記事でも書いてますが、
お金が余るのは
自分のレベルが上がったあと

なのです。
RPGと一緒です。

「布の服」と「木の杖」で
スライム数万匹を、
倒しつづけるのことが
効率がいいのか?

それとも、
レベルに合わせて
鋼の剣とか、伝説の剣とか
持ち変えながら
報酬額の大きい敵を
倒していくのが
効率がいいのか?

アナタのゲームの遊び方は、
どちらですか?
人生の歩み方は
どちらですか?


行き着く先の「階層」は
「上層」ですか?
「下層」ですか?
貴方の血統にふさわしい
「階層」はどこですか?

お金がない

その選択の…その先に
望む世界はありますか?

「物」と「お金」…

「郊外」と「都心」…

難易度の違いはあれど、
戦略的に、
どちらを選択しても
かまわないんです。

物と時間を使って、
微細な額の足し算
資産を増やすのと、

お金を使って
時間を生み出し、
使ったお金より、
売った時間、
生み出した利益のほうが
大きければいいという、

大きな率の掛け算
資産を増やすのと、

どちらを選ぶか?
…という問題です。

ただ、
その選択の先に…

あなたの
望む世界はありますか?

ちゃんと、理想にたどり着く
過程が見えてます?

なにが、いいたいのかと
いうと…

払いたくないから…
…って理由で…

貧乏さんの三拍子である…
い」
」を
っかけ」たり、

お金持ちの行動と
真逆である、
節約とか、言っちゃって
品質を下げたり…

その先に、
待っているコトが
ちゃんと見えてます?

「お金がない」から
「安い」「物」…じゃなく、

「安い」
「物」を
「追っかけ」てるから
行き着く先が当然のごとく
「お金がない」のです。

「安」「物」「買い」の
「銭」「失い」

このコトワザって、
単語のひとつひとつの全てが
恐ろしいくらいに
核心を突いてるんですね。

戒めっていうよりも、
単に「プロセス」っていうか、
単に「因果関係」っていうか、
リンゴが木から落ちるような
「物理法則」に近い。

だからこそ、
その物理法則を踏まえて、

お金がないからこそ
なおのこと、
「時間」を生み出し、
「お金」を獲得するべき
じゃないのかな?

「安い」の反対の「質」
「物」の反対の「時間」
「追っかけ」の反対の
「作り出す」

質の高い時間を作り出す。

い」の反対の「い」
」の反対の「お
っかけ」の反対の
「やってる」

高いお金がやって来る。

質の高い時間を作り出す
…ことで、結果として、
高いお金がやって来る。

安・物・追。
…じゃなくて、
高・金・来。

高いお金とは、
貴方自身の高い能力と、
作り出した高質な時間との
掛け算だから。
貴方自身の高い能力こそが、
「大きな利率」です。

掛け算だからこそ、
時間がゼロだと、
どんなに
貴方の能力が高くても、
効果がゼロになってしまう…。
すなわち、
タイムイズマネー…。

貴方の高い能力を
生かすも殺すも、
貴方自身が作り出す
時間の量が
左右するだけ。

つまりは、
時間を作り出すことで
もっと、ストレートに、
お金を「獲得すること」に
リソースを割くべきでは?

…ってことです。

そこから目を背けて
未来はありますか…?

お金がないから、
自分で材料を買って、
自分で道具を買って、
自分の時間を使って、
自分の能力を使って、
成功するか、わからない
「結果」を追い求めていると、

本来、
自分の求めていた
「結果」を
見失っちゃうんです。

自分で作った「結果」は、
当初の理想の「結果」と
微妙に
ズレちゃってるコトが多く、

こういうことが続くと、
本当に必要だった
「結果」から
離れてしまって、

しかも、いつしか、
それを許容しちゃって、


その許容した
「角度」が累積して、

結果として、
180度反転しちゃって
「本来の目的」から、
とんでもなく
ハズレちゃうのです。

いわゆる、
本末転倒になっちゃう
可能性が
大きくなってしまいます。

この、
「本末転倒」が、ズバリ、
貧乏の原因なんですよね。

志のベクトルの向きと、
やってることの
ベクトルの向きが
ぜんぜん違う方向に
向いちゃってます。

自分では、
それなりの価値を
築いてきたつもりが、
実は社会的には価値がない…。
この、ズレ。

初めから
ズレてたワケじゃない…


だんだんと、
ズレてきちゃう。

許容した分、
ズレが累積しちゃう。

そして、
その変化に気づかず
過ごしちゃう…。

いや、違いますね…
気づいてたんです。
ホントはメチャメチャ
気づいてたんです。

でも、許容した。
しちゃった。
しちゃい…続けた…。

許容したことを
許容し続けた。
そこを見て見ぬふりをした。

自分で生み出した
「結果」に対して、
「甘さ」が出てしまって
どんどん、
ズレてっちゃうのです。

こんなカンジで、
いつのまにか…

裕福になりたいって目的を
持ちながら、
いつのまにか、
本来の目的を見失っちゃって、


裕福になりたくない人の
選択をしちゃってるって人が
多いんだと思います。

物を重要視する生き方は、
どんなに、頭脳明晰でも
この、「貧乏の原因」を
抱え込みやすく

お金を重要視する生き方は、
どんなに、低能無知でも
この、「貧乏の原因」を
抱え込みにくいのです。

くどいようですが、
物を重要視するスタイルが
悪いって
言ってるんじゃないです。

ただ、
物を重要視する生き方は
難易度が高いんですよ。

自分の身分と能力
極めて高く、かつ、
自分に対して
厳格な人向けなのです。

もうひとつ、
イヤな言い方をしますと、

結局、人間って、
自分に対して「甘く」
他人に対して「厳しい」のです。

「甘さ」が招く結果と
「厳しさ」が招く結果で、

どっちが質が高く
なりがち」ですかね?

…もう、言わなくても
いいですよね?

質が高く「なりがち」なほうを
選択しつづけたほうが
いいんですよ。

つまりは、
物に頼る生き方は
自分にカナリ厳格でないと
正しく機能しないのです。

反面、
お金に頼って、
他人を厳しく酷使した
結果を買っていったほうが
都合がいいんです。

経済と制度を
使ったほうが、都合がいい。
そこには、
自分への厳格さが欠けてても
そこそこ機能するのです。

経済と制度を
使ったほうが、都合がいい…

と、いうよりも、

都合がいいように
作られているのが
経済と制度なんですよ。

誰にとって都合がいいの…?

多数派にとって
都合がいいのです。

多数派って…?

自分に甘く、
他人に厳しい連中ですよね?

その都合のいい
経済と制度を、よく勉強して
上手に使う人のほうが
裕福になりやすいっていう
ハナシなのです。

自分に甘いという
多数派にとって
都合がいいのが
制度と経済の活用で
あるにもかかわらず…

それを活用しない
貧乏さんが多数派に
なっちゃっているのが
現状です。

実際問題、
自分に甘くて、
社員に厳しい
クソ社長でも、

結構裕福で、
儲かってますでしょ?

これは、
自分への厳格さが
著しく欠けてても、
人格も、能力も
多少、アレでも…

「お金と時間」を
財産の基準としている
思考が裕福たらしめて
いるんです。

多少、能力的にバカでも
社長が務まっているのです。
材料と道具と能力と時間を
使わされる従業員の
上に、立てちゃうのです。

たとえ、
従業員のほうが能力が高くても、
クソ社長のほうが、上位であり
お金持ちなのです…。

人格とか、
能力とか、
厳格さよりも、

お金と時間を
財産の基準とし、
経済と制度を
上手に使うほうが

圧倒的に、
裕福になりやすいのです。

従業員として…
技能や技術を
有するよりも…

汗水たらして労働力を
提供するよりも…

経営者として…
経済と制度を上手に使うほうが…

社会的には価値がある

…という
厳しい現実につながっています。

バカでクソな社長のほうが
社会的な価値、地位が
高いということです。

だから、社会の評価である
お金が、そこに集まる…。

お金と時間を
財産の基準とする人に

お金が集まるという
強い傾向と現実があります。

時間の価格

本質は…時間である。

物とお金…
郊外と都心…

って、基準でのオハナシに
なってますが、

労働者っていう立場に限ると、
本質的なトコロは
物でも、お金でもなく、

「時間」なんです。

自分で事業を起こしている人は
物を直接、効率的に換金する
営業能力、事業才能があるので、
チョット当てはまらないのですが、

私のような、
従順なる子羊たち…
給料をもらう立場、
労働者である限り、


生活のなかで、
「時間」を生み出して、
勤務先にその、
「時間」を売るんです。
そして、すべては
「時間」の価格なんです。

自分の価値を決めるのは、
時間の…
得かた、売りかた、使いかた
なんですよ。

そのための過程として…
もっと、
ハッキリ言っちゃうと、
自分の目的を達成するために
払う「対価」…つまり、
「通貨」として、

道具材料+労力+自分の時間
…を使って、
差額を得るのか?

それとも、

ストレートに、お金だけ
…を使って、
時間を得るのか?

結果、自分の売り物である
「時間」が手元に残るのは
どっちなのか?

固定的で微細な差額と、
無限の可能性を持つ時間の、
どちらを手にするほうが
有利なのか?

売り物は時間だ
って言ってるのに
微細な差額
生み出してたら、
どうにもならないですよね。

スタートからして
ハズレちゃってるのです。
目的からハズレ。
質問に対する
答えがハズレ。
本末転倒の大ハズレ。

微細な差額なんか、
誰にも売れないし、
誰も買ってくれないし、
誰も評価してくれないし、
その時点で詰んじゃうのです。

日々の生活で
生み出すべきは…
「時間」です。
「差額」じゃないです。

会社に売る
労働力と時間を
生み出すために、
「生活」してるんです。

つまりは、
「生活費」とは、
会社に売るモノを
生み出すための投資費用です。

生活費を減らしたら、
会社に売るべき
自分の労働力と時間は
増えますか?
減りますか?

しょーもない、
節約のために、

1時間を自己消費して、

会社に売るべき
自分の労働力と時間は
増えますか?
減りますか?

その1時間で
微細な節約効果を
得たとして、

つまり、その節約の
おかげで生活費を
削減できたとして…

会社に売るべき
自分の労働力と時間は
増えますか?
減りますか?

その結果、
あなたの手にする収入は
増えますか?
減りますか?

勤務先に売るのは「時間」。
勤務先は「差額」を
買ってはくれません。
勤務先が買うのは
あなたの「時間」です。
節約で生み出した
「差額」じゃないんです。

あなたの収入を生み出すのは
無限の可能性を持つ
「時間」です。
「差額」は差額であって、
それ以上、増えないのです。

だから、
節約こそ、
自分の価値を
無駄にバラまき尽くす
究極の贅沢なのですよ…。

過去の私を例にすると、

節約とか言っちゃって、
「安い」
「物」を
「追っかけ」てたから
行き着く先が当然のごとく
「お金がない」のです。

「行き着く先」が
「お金がない」

お金がないっていう現状は、
過去の習慣がもたらした
行き着く先だったのです。

お金がないっていう
現状が、行き着いた先

だったのです。

お金がないから
どうしよう?
っていうよりも…

お金がないっていう
状況に行き着いたのは
なんでだろう?

…それは、

時間を高く売るんじゃなくて、
時間を安く消費しちゃった…

売り物であった「時間」を
タダ同然で自己消費しちゃった…

その行き着く先が
お金がないっていう
現状だったのです。

だから、
お金がないから、
節約をしよう…

その思考だと、ますます
ドツボにハマって行ったのです。
だって、それって
今までと同じコトだから。

今までだって
別に無駄遣いをしていた
ワケじゃない。
できるだけ、安いほうを
選択して節約していた…

でも、
それがマズかったのです。
時間をタダで自己消費してた…

皆様のコトを
言っているワケでは
ありませんよ。
あくまで、私
場合なんです…。

まぁ、言い過ぎだってのは、
わかってます。
でも…、

給料をもらう側の
労働者である場合、
時間に関する事柄が
本末転倒になっちゃってるのが
貧乏の原因です。

自分の時間を
高く売るんじゃなくて、
安く自己消費しちゃうのが
貧乏の原因です。

日常生活の節約って、
ほとんど、この
時間を安く自己消費しているに
過ぎないのです。
これが、貧乏の原因。

この「貧乏の原因」を知ると
もう、貧乏の方向へ向かわなく
なれちゃいます。

長くなったので、
続きは次の記事で…

【貧乏脱出上級編】にて

貧乏の原因について
言及します。

貧乏っていうのは…
トリックに気づかず、
トラップにハマり、
負のスパイラルに
囚われるんだって過程を
解説しちゃいます。

トリック
トラップ
スパイラル
…の3段拍子で
突き落とされるんです…


私が、
働けど、働けど、
貧乏だった時代から

のほほん…としてても、
そこそこ、お金が増えていく
生活スタイルに変わった原因、
思考の変化について
言及してます。

自分の時間単価…
つまり、自分の価値、
自分の時給が、
勝手に上がっていく…

時間経過と共に、
階層での自分の立ち位置が、
上層に向かっていく…

その方法です。

まぁ、要するに…

お金と仕組みで考える人に
なればいい…

「経済」と「制度」

…に、
ヒントがありますよってこと。
世の中のカラクリを
猛烈に勉強しよう
ってハナシです。

コスパ…なんだろう?
上層に向かう…って?
そして、
リーダーシップって?
その先の…
裕福になる…って?

それらのために
何を知り、
何を勉強しなきゃ
いけないのかな?
って、ハナシでした。

まとめ

今回のまとめ
貧乏さんは物が多い

【 1 】
物資重視の生き方は
今の時代の経済大国日本では、
難易度が極めて高い。
無理ゲー過ぎる。
貧乏さんが物が多く、かつ
裕福になれないのは
難易度が高いほうを
選択しちゃった結果である。

【 2 】
物資重視の生き方は
自然と下層に属しやすく、

お金重視の生き方は
勝手に上層に
押し上げられやすい。

【 3 】
お金を重視する生き方は
同時刻帯に
他人を同時に、
並列に多数使うこと。

生み出す利益は、
自分だけの
限られた時間のなかで
道具と材料を使って…
…っていうレベルとは
異次元の差が出ちゃう。
財産の時価総額に数十倍の
差ができるのは、そりゃ当然。

数十倍の差が当然なのです。
そこに同意できないなら
まだチョット危険かも。

【 4 】
物資がもったいないから、
お金を捨てる?
お金がもったいないから、
物資を捨てる?
物資を溜め込みたい?
お金を溜め込みたい?
選択肢は自由だけど…
自分にとっての
富の基準は何なのか?

「その先」を考えよう。
物資基準を選択した、その先。
お金基準を選択した、その先。
ふたつの「その先」。
「その先」に…至る結末が
あなたの望む形であるのか?
買う」という表現を避け、
入手」という表現で考える。

【 5 】
お金を重視する生活の
利点は、困ったことに、
体感しないと
絶対に気づけないよ。
マジで「体感」しない限り、
「気付けない」という
衝撃的な事実、不都合な真実。
裕福な「家系」では、
「親が子に」「この利点」を
「気付かせる」ということ。
比較的、早い段階で、
お金を重視する生活の利点に
気付くように教育しただけ。
そういう血統。家系。世襲。

【 6 】
お金と仕組み、
経済制度
勉強しつつ、体感しよう。
貧乏人が仕組みの罠に
ハマって流れていくサマを
「高みの見物」することで、
初めて気づけるのです。
貧乏人が
罠に飲み込まれるサマを
「傍観するっていう経験」が
その後の
人生の在り方を変えます。
でも、
そんな機会はどこにある?
…私は身近にありましたよ。
貧乏でお金がない
クソなド底辺クズ野郎の
当時の自分を客観視すれば
よかっただけなので。
自らを顧みたからこそ、
気づけたのです。

【 7 】
郊外の大きなお屋敷は、
元からあったワケではないよ。
お金持ちになった人が、
お金持ちになったあと
建設したものが多いのです。
貧乏が郊外で
広い部屋に住むのは
順序が逆かもしれませんね。
逆からやるから効率悪くて
難易度が高いのです。
「お金が余る」のは
「自分のレベル」が
「上がったあと」なのです。
RPGと一緒です。

【 8 】
自分の「身分」が高くない…
自分の「能力」が高くない…
自分に対して「厳格」でない…
そういう人が
「物資を財産の基準」にした
生き方を「選択」してしまうと
どうしても「行き着く先」が
コストを垂れ流す
物資と道具を抱えたあげく
「お金がない」のです。
理由は、自分に対して甘いから。
物資重視で差額重視の
節約を機能させるには、
最低限、身分と能力が
極めて高く、かつ、
自分に対して極めて厳格
人格者である必要があります。
これが、難しいんです。
難しいから、
モノがあふれちゃったあげく、
お金もなくなっちゃうのです。
もちろん、成功する人も
いますよ。ただ、その人って
極めて優秀な人格者ってだけ。
フツーじゃないんです。
非凡なんです。

【 9 】
コスパとは
費用、対、効果。
入り口の「安さ」と、
出口の「効果」…
優先すべきは、
さて、どっち?
費用が少なくて済む
安い人と…
大きな効果を生む
優秀な人…
コスパがいい人は
さて、どっち?

【 10 】
他人に厳しく、
自分に甘く…。
それでも、そこそこ結果が
出せるのが、
「お金と時間」を財産の
基準とする生き方。
差額を積み重ねる節約なんて
しなくてもいい。

しないほうがいい。
節約で差額を追い求めたって
難しいあげく効果ないんだから
しないほうがいい。
節約をがんばらない
ことじゃなく、
がんばらなくても
お金が余り出す「立場」。
その立場に行き着くように
「がんばる」のです。
そのためには、やっぱり、
節約なんか、がんばってる
場合じゃない
よね。

【 11 】
「安い」「単価」を
「追っかける」のが、
悪いんじゃない。
単価」を優先する者は、
微細な差額の足し算
だけ」をしようとして、
大きな利率の掛け算を
「しようともしない」。
だって、
そういう習性の人だから。
質と利率だけを
追求する習性の人に
勝てるワケない。
差額の足し算では、
利率の掛け算に
逆立ちしたって、かなわない。
どんなに優秀な人でも
微細な足し算では、

大きな掛け算をする人に
勝てないのです。
なんつーか、
「武器」が違う。
「威力」が違う。
「競技」が違う。
「尺度」が違う。
「ケタ」が違う。
「次元」が違う。
微細な差額の足し算の
戦い方では、
万が一にも勝ち目がない。
ってゆか、
勝負にもならない。
これがそのまま、
生き方の難易度の差。
「止まらない」兎と、
「動かない」亀の差。
「安さ」とか、
「値切る」とか、
考えた時点で、
もう、勝ち目がない。
「値切り勝ち」は無い。
そんなモノは存在しない。
「値切る」ことが
敗因ではなくて、
そういうことを
考えちゃう習性の人が
100倍も高い難易度の道を
選んじゃうだけ。
その結果、
絶対に勝者になれないだけ。
必ず敗者になるだけ。
それが、とても自然な流れ。
100倍の難易度の差は
凡人にはひっくりかえせない。
万が一にも勝ち目の無い
戦い方をしちゃうだけ。
微細な差額の足し算で、
大きな利率の掛け算に
無謀な勝負を
仕掛けちゃうだけ。
でも、それって、
ケタが違いすぎて、
次元が違いすぎて、
勝負にもなってないよね?
それって、つまり、
人生の難易度が違いすぎる
…ってコトだよね。
習性を染め替えないと
勝負にもならないんです。
同じ土俵に立てない。
同じスタートラインにも
立てない。
「能力」よりも、先に習性。
「性格」よりも、先に習性。
習性を染め替えない限り、
能力を上げようが、
性格を変えようが、
貧乏は変わらない。
逆にいうと、
習性さえ染め替えれば、
能力と性格は
それほど要求されない。
つまり、貧乏に、
能力と性格は
あまり関係がない。
秀で良な業員と、
能で性なクソ社
どちらがお金持ち?

全ての物に賞味期限

それでも捨てられない…
ならば…全ての物に
賞味期限を設定する

使わないモノ、使えないモノを
所持することで…

自分自身の資産の時価総額が
下がっていく
ことを…

避けなければいけないのです。

捨てるべきときに
捨てる勇気。

それでも捨てられない…ならば、
全ての物に
賞味期限を設定する…


例えば、
冷蔵庫に賞味期限を
半年ほど過ぎた納豆
あったとします。

もったいないからって
食べますか?

まだ使えるかもしれないって
そのまま、冷蔵庫に
置いておきますか?

フツーはそんなこと、
しませんよね?

なぜ?

今後、使用できないモノなんて
保管してもしょうがない。

今後、使用しないモノなんて
保管してもしょうがない。

っていうか、
その納豆、今、食べたら
どうなる…?

ヤバいっすよね。

こんな風に…

あらゆるモノは
陳腐化し…
いずれは、害となります。

食品であったものが…
そうではなくなる…

時間経過と伴に
当初の目的が
果たせない物になっていく…

まぁ…極論ですけどね。

捨てられない…って言っても
なんだかんだで
賞味期限が過ぎてれば
捨てられるんですよ。

捨てられない…とか
言っちゃう人も、
そうやって、
結構、捨ててきたハズです。

スマホ全盛の時代で
10年前のガラケー使ってる人
いませんよね?

結局、どこかのタイミングで
まだ使えるはずの
ガラケー捨てて
スマホに移行してるのです。

捨てられないとか
言っちゃって、ホントは
たくさん捨てているんですよ。

そのくせ、自分が
都合がいいときにばっかり
「捨てられないから」
なんて、言い訳…

「捨てられないから」
なんて、しょせんは
「言い訳」にしか過ぎません。

言い訳なんですよ。
できない、言い訳。
遅刻の、言い訳。
寝坊の、言い訳。
不正の、言い訳。
スピード違反の、言い訳。
一時停止義務違反の、言い訳。
同じ構造です。
「理由」じゃなくて「言い訳」。

捨てられないから…が、
「言い訳」じゃないって
思っている人は、
捨てられないから…って
発言する人だけです。

ほとんどのオトナは
言い訳だって、思ってますよ。
中学生の寝坊の言い訳と
同じ感覚で聞いてます。

それもまた、極論ですけどね。

だからこそ、
全てのモノに
賞味期限を設定するのは
いかがでしょうか?

賞味期限って?

あなたの経済的価値と
そのモノの経済的価値の

損益分岐点ですよ。

それはつまり、
自分が言い訳していい領域と
しちゃいけない領域の境界線。

見えないワケないですよね?

だって、
10年前のガラケーを
いまでも使ってないしょ?

半年前の納豆、
食べないでしょ?

全ての物に対して…

自分自身に
言い訳することなく
損益分岐点を賞味期限として
設定すればいいのです。

自分自身の価値を知り、
物資の価値を知っていれば
それくらい、できますよね?

このページは、
貧乏ほど物が多いっていう
テーマに見せかけて、

実をいうと、
貧乏をやめようぜという
目的のサイトです。

私自身も
半年前の納豆を捨てて
貧乏を脱出しつつありますので

もし、アナタ様が
私の境遇に近い人ならば

ゼヒ、
一緒に貧乏を脱出しませんか?

一緒に半年前の納豆を
捨てちゃいましょう。

自分の内に潜む
腐った害を捨てましょう。

自分の内に秘める
マイナスの習性を
断ち切りましょう。

究極のコトをいうと、
企業がやってる…
リストラとか、
ダウンサイジングとか…

個人がやる、
シンプルライフとか、
断捨離とか…

表面的な、
コストダウンを狙って
やってるんじゃなくて、

利益を得られる
「立地」や「立場」の
争奪戦をしてるんです。

利益になるものだけ
保有し、
利益にならないモノなんか
捨てる。

差額の足し算のような
ネガティブで
ぬるい施策じゃなく、

利率の掛け算のような
ポジティブで
積極的な施策なんです。

だからこそ、
大企業とか、
著名人の皆様は、
思いきりがよく、
ガツンとやりやがるのです。

大きな企業や
給料の上がっていく人は、

差額の足し算の生き方を
選ばずに、

利率の掛け算を選んで
生きてるだけなんです。