質素とは?

質素とは?
「しつ」の「もと」

質素とは、
簡単に言いますと、
「しつ」の「もと」。

の要のことですね。

本質につながる要素

本質につながる要素

はっきり申し上げると…

安いモノを選択すること
でもないし、

払わない節約をすること
でもないし、

食事の質を落とすこと
でもないし、

「ぜいたく」をしないこと
でもない

質素の意味って、
そんなコトじゃない。

質素とは、
「しつ」の「もと」

本質につながる要素を
選択することなのです。

自分の価値をあげていくことに
寄与する選択のこと。

たとえば、それが
高価な高級品であったらなら、
それを選択する。

本当に必要なモノを選択し、
不要で無駄なモノは
選択しない。

質素とは、安いことではない。
単純に経費削減すること
でもない。

自分の…

目標とか、
目的とか、
価値とか、
質といった、

「本質」を構成するための
「要素」なのです。

つまりは、
明確な目標を
見失わないから


につながる
だけを
択できるのですね。

良いものが基準

良いものが基準

そこには、
自分にとって、
「良いもの」が基準。

安いとか、高いとか
無料とか、有料とか
そんな基準はないんです。

もちろん、
高級とか、低級とか
そんなことも基準にない。

本質の要素、
本当に良いものを選択した
結果が、

たまたま、
安かったり、
高かったり、
低級品だったり、
高級品だっただけ。

でも、だいたいの
明確な目標って、
自分の価値を高めること
ですよね?

じゃぁ、その本質の要素は?

それは、
自分の価値が高まる
品だったり、サービスのこと。

安かろう、悪かろうが
貴方自身の価値に
見合うのか?

貴方の血統に見合うのか?

釣り合うのか?

そういうことを
考えると、

質素って、なに?
…って、
答えが実感できるのでは
ないでしょうか?

今の自分は、
今の選択は、
今の生活は、
今の生き方は、

果たして、
質素と言えるのか…?

品格で定義の認識が違う

品格で定義の認識が違う

結局、
「明確な目標」を
「見失わない」から、

「本質の要素」を
「見誤らない」のですね。

人の品格
質素の「定義の認識」が、
困ったことに違うのです…。

だから、
ある人の「質素」が

別の人の見解だと、
「贅沢」っていう

おかしな議論に
なっちゃうことも
あるワケです。

質素の定義が…

「本質の要素」
って認識の人と、

「安くて粗末」
って認識の人と、

相容れないのです。

人間の品格が違うと
ハナシが通じないのです。

質素の意味が
本質の要素…すなわち
高品質なモノと
釣り合う品格の人と、

質素の意味が
安くて粗末…
その人の本質が安くて粗末…
すなわち、
安くて粗末なモノが
釣り合う品格の人で、

人としての品格
隔たりがありすぎて
ハナシが通じないし、
見ている常識も
違うのです。

住む世界が違うのです。

利益だけ買う

利益「だけ」買う

すなわち
質素な生活とは…

利益「だけ」買う。

これを指します。

利益になるコトを
買って、
利益にならないコトは
買わない。

そして、
利益になってないなら、
捨てる。

貧乏な人って、
結構、真逆をやっていて…

ま、それって
私のコトなんですけど…

利益になることを
買わなくて、

利益にならないことを
買っちゃって、

利益になってないことを
捨てないのです。

だから損失
垂れ流し続ける…
現金を放出しつづける…

払いたくない…と思うのは、
利益にならないから。
人間の脳は
利益は買うものだと、
潜在的には知っています。