一人暮らしで節約に疲れた

一人暮らしで節約に疲れた

節約に疲れた

一人暮らしで節約に疲れたなら…
今すぐ、節約をやめよう。

だって、疲れたんでしょ?

節約したくて、
節約してるなら、
本来、嬉々としてるはず。

そうでないなら…
節約すべきじゃありません。

疲れているというのなら…
ホントは
節約したくないはずです。
図星じゃないですか?

それもそのはず…だって、
節約「するため」に使うお金は
節約に「なった」お金より
大きいことが普通です。
特に、一人暮らしの場合は。

節約しなくていい生活へ

節約に疲れたというより
生活に疲れている

「節約に疲れている」
…というよりも、
「生活に疲れている」
…のだと思います。

節約って、
何を節約してますか?

時間ですか?
労力ですか?

多分、お金ですよね?

節約してるのは、
時間でもなく、
労力でもなく、
お金なんです。

どういう、お金?
多分、出費。

特に生活費。
そこを叩くから…
だから生活に疲れる。
節約に疲れる。

節約って、
何を節約してますか?

もっと、突っ込んだ
ハナシをすると、多分、
食材とか日用品の
単価じゃないですか?

単価を追うことで、
労力が増える。つまり疲れる。

単価を追うことで
自由時間が減る。
家事の所要時間が増える。
つまり、疲れがとれない。

とどめは単価を追うことで、
余計な出費が増える。
お金を節約したつもりが
お金が余計に出て行く。

お金が余計に出て行くから
もっともっと単価を追う。
そして、もっと疲れる。

単価を追っかける
節約が疲れるのは当然です。
極めて自然なことです。

単価を追うことが
節約地獄エンドレスループの
始まりです。

自炊のために部屋の広さの求め、
自炊道具や調理家電を買い揃え、

食品材料の
単価を求めてまとめ買いし、

大量の作り置きを収納するために
大型冷蔵庫を買い求めるような、
郊外のプアーライフから、

職場の近くに住むことにより、
「自炊という無償労働」の
一切を排除した
街中スローライフのほうが
良くないですか?

郊外で車や家電家具を養って、
おまけに通勤時間で疲労して…
仕事する以前に
生活に疲れませんか?

だったら、
街中で一切の道具の保有を
放棄して、その維持管理にかかる
費用をゼロにして、
職場の近くに居を構えて、
通勤時間をほぼゼロにすれば
生活に疲れることは
なくなります。

そもそも、
節約したくないなら
しなくていいんですよ。

一人暮らしで
節約をしなくちゃいけないほうが
なんだか、おかしい気がします。

ま、私も、
郊外のプアーライフで
生活に疲れていた人でした。

今は街中スローライフに
切り替えてます。

そしたら、
生活に疲れなくなった。
仕事のクオリティが上がった。
収入が増えた。

その結果、
節約をしなくて良くなった。
そもそも、
郊外のプアーライフでの
生活費は月額18万円
かかってましたが、
今の街中スローライフでは、
生活費は月額9万円以下です。

生活費は半分で収まり、
自由時間は増えまくり、
収入も上がった。

一人暮らしでは仕事と家事の
両立はしなくていい。

そんなことしようとするから、
したくもない節約で
疲れる破目になるのです。

私は、郊外での無償労働を
人生に課すのをやめました。

その結果、郊外に住むのを
やめました。

住近接。住近接。

だからこそ、一人暮らしで
節約に疲れたくないなら、
節約なんかやらなくていい。
むしろ、やるべきではない。

自分でしたほうが「安い」は
実は、自分の人件費を
無視しているがための勘違い。
多くの場合は
他人にしてもらう方が「安い」。

材料の単価を抑えようとすると、
加工の手間暇と設備固定費が
とんでもなく増える。

節約するのは、
単価による差額じゃなく、
時間と労力にしよう。

そうすると、自然と
設備の固定費が不要になります。

以前の私は、自炊の固定費が
9万円かかっていました。
皆様はおいくらでした?

毎月9万円も支出が減ったから
そりゃ、節約なんてする必要は
皆無になりますよね。

さらば、郊外のプアーライフ。
そして、ようこそ
街中のスローライフへ。

節約することで
労力が増える

節約することで
労力が増える

節約ってなに?

食料品や日用品の
「単価を追いかけ」
微細な差額を積み重ねること。

単価を追うことで
起こることってなに?

それって具体的には…
単価を求めて
まとめ買い
大量の作りおき

まとめ買いって、
会社帰りの「ついで」では
済みません。
休日にわざわざ行くのです。

大量の作りおきって、
平日の夜では済みません。
わざわざ休日にするのです。

こんなことは一例に過ぎなくて、
一括購入による
物資の大量調達は、
その在庫管理に多大な手間を
生み出すのです。

ついでに、
作りおきの在庫管理や
鮮度管理も発生します。

で、その労力は、
おいくらの金銭的効果を
もたらしたのでしょう…?
って、ハナシです。

むしろ、管理の費用や
そこに付帯する水光熱費を
増やしてませんか?

材料単価を抑えて原始的な
材料を調達するなら、当然、
加工のコストが増えるのです。

抑えた単価の差額より
増えた加工のコストのほうが
圧倒的に多いはず。

大家族なら、

単価の差額>加工費用

…になると思いますが、
一人暮らしだと、

単価の差額<<加工費用

…こうなります。

節約することで
自由時間が減る

節約することで
自由時間が減る

労力が増えたということは、
それら雑務を「してる時間」も
増えている。

物資の単価を抑えると
その分、手間暇が
増えるのです。

その結果、自由時間は減る。

単価を求めると、
さまざまな家財道具が
増え始めます。

まとめ買いに耐えうる
大きな冷蔵庫。
まとめ買いするためのクルマ。

大量に炊ける
高価かつ大型な炊飯器。

限られた現金で最大量の
物資を調達する考え方は、
原材料などの物資のみならず、
道具の数を増やすのです。
設備の大きさを要求するのです。

その結果、
道具と材料の保管のために
部屋の広さを求めます。

広さの単価を求めて…
もっともっと、郊外へ。
郊外の広くて安い部屋を
追い求めます。

これで日々の
移動時間が増えます。

作りおきで時短したつもりが
その10倍の移動時間を
生み出してる。

そんな望まぬ時間が増えることで
ますます生活に疲れていく。

物資と道具を大事に使う良識が
ますます手間を増やしてる。
自分の時間を奪っていく。

出費の節約とは、
自分の時間を減らし、
雑務と労力を増やすこと。
当然、疲れる。
でも、それが自然なこと。

単価を重視することは、
すなわち、物資のを重視する。
そして、時間を軽視する。

単価を重視する人の
財産の基準は…
お金の量ではなく、
物資の量なのです。

ちなみに、
物資の一括購入で下がる
単価を求めて
現金をドカンとぶっこみ、
管理すべき物資の量
山のように抱え込み、
管理の手間と時間が増えて
慢性的に忙しい…

財産の基準が
お金の量ではなく、
物資の量だから…
所持金が少なく、物が多い。

こういう状況が…
貧乏、ヒマなし。
貧乏、物が多い。
…これらの表現にピッタリと
当てはまるのです。

価格を重視することは、
所持するお金の量よりも
所持する物量を優先すること。

カネ持ちになることを放棄し、
モノ持ちになりたい人なのです。

節約することで
余計に出費が増える

節約することで
余計に出費が増える

節約は、お金がかかるのです。

節約「するため」に使うお金は
節約に「なった」お金より
大きいことが普通です。
特に、一人暮らしの場合は。

節約「するために使うお金」を
収支計算に含めないから、
気づかないんです。

食材とか日用品の単価を求めて
まとめ買い。
作りおき。

その結果が、
大きな冷蔵庫とクルマ。

まとめて思考が
家具家電の専用化・大型化を
招いています。
当然、その購入費用も莫大です。

入り口の単価のことばかり
考えて、出口の効果や
利益のことは考えない。

だから、
特売品の累積で得た差額より
家電・道具の
購入費用と維持費のほうが
大きいということに気づけない。

大型化した家財道具に
追われるように
広さの単価を求めて郊外へ。

郊外という「離れ」を作って、
あらゆることの
所要時間を増やします。

特に通勤時間はヤバい。
せっせと特売品を買い漁って
下げた単価で貯めた金額を
台無しにします。
って、いうか、
それどころじゃないかも。

「単価」を求めて
「まとめて」したのに
「出費は増大」…そのせいで、
「手持ちの現金」はカツカツで
「後戻り」ができない。
「取り返し」がつかない。

こんなカンジで
節約に疲れた生活は続きます。

突きつけられた
「貧乏」という現実に
気づかないフリをして
疲弊した生活を続けなくては
いけません。まさに地獄。

こんな生活にピッタリな
表現は…
貧乏、暇なし。
貧乏、物が多い。
郊外のプアーライフ。

え?私ですか?
もちろん、私も以前は
そうでした。郊外のガチ底辺。
だから、知ってるんですよ。

私の場合…
「より郊外への引越し」を重ね
単価を求めた節約の結果が、
通勤時間2時間の郊外で
月額生活費18万円の疲弊生活。
見事なまでの黒歴史。

以前の私は、単価を追って
郊外に進出することで
「真逆」の間違った方向に
限界まで進みきった感が
ありますね。

郊外のプアーライフで
節約に疲れ切って
心身ともに衰弱しきって
おりました。

本末転倒の節約ごっこに
気づかないフリをし続けるのに
心が折れて、悔し涙で
心が洗われて素直になるまで
意地を突き通しました。

よくやった、自分。
底辺の中の底辺まで
たどり着いた。

今?
月額生活費9万円以下の
スローライフです。
節約なんか考えてない。
したいことをしてるだけ。
生活に疲れるなんてないし、
ストレスもゼロ。

節約は、本来、とても
お金がかかるのです。

単価を抑えるつもりで
加工品よりも原始的な
材料を活用するには…

自分の労力と、
自分の時間と、
道具の購入代金と、
道具の置き場と、
道具を使うための導線と、
それらの面積の家賃と、
道具を維持する諸々の費用が
必要なのです。

原材料の単価を抑える節約は、
膨大な固定費を消費する
大規模設備を要求されます。
結局、大幅な赤字です。

その設備を維持する価値が
「一人暮らし」にあるのか?
「一人暮らし」に適すのか?

その赤字を払いつづける
意味はあるのか?
その義務感はどこから来るの?

節約を追いかけた結果が
郊外のプアーライフ

節約を追いかけた結果が
郊外のプアーライフ

効率を求めて
物資や道具を増やすことは
悪いことなのか…?

そうじゃありません。
効率がいいに越したことは
ありません。

ただ、一人暮らしの目的を
考えたときに、
その作業単体の効率は
人生全体の効率に寄与するのか?

一人暮らしの目的を
果たせるのか?

残念ながら、
多くの場合、道具の保有は
あまり目的達成に寄与しない…
…ことが多く、
むしろ金額的負担で
足を引っ張ることが多い。

あくまで…多い。
だけど、すごく多い。
すさまじく多い。

なぜか?
一人暮らしだから。
集団生活じゃないから。

そして、
その道具を所持したことによる
作業単体の効率が
人生全体の効率に寄与するか
天秤にかけたことがないから。

もちろん、試すのは悪くない。
むしろ、とても素晴らしい。

でも、明確な悪影響に
気づいたら、やめよう。

気づかない振りも、
もうやめよう。

こんなカンジで…
低単価を求めて
特売品を追っかけるから、
生活に疲れることになるのです。

「やりたくない」なら、
「やらなくていい」を、
「選べば」いいだけ。

「し続けないと」を選んでおいて
「しないで文句」言わないよね?

「なりやすい」を避けておいて
「なれずに文句」言わないよね?

もちろん、聡明な皆様は
そんなコトするワケないよね?

ま、
郊外暮らしの底辺貧乏だった
以前の私はしてたけどね。
「し続けないと」を選んでおいて
「しないで文句」…言ってたし、
「なりやすい」を避けておいて
「なれずに文句」…言ってました。

「なりたい」ならば
「なりやすい」を選べばいい。

「やりたくない」なら、
「やらなくていい」を、
「選べば」いい。

なんでも、自分で
道具の所持専有
まとめて…の低単価
広さを求めて郊外
物量維持のため固定費増大…
家事という無償労働への
盲目的従事…

…このあたりを考え直し、

自分の人件費を
ゼロ円としておとしめて
家事とかいう無償労働に
強制従事させるブラック企業も
真っ青な悪虐思考から、

抜け出してみませんか?

そんな思考で自分を縛れば
そりゃ、疲れるし、
イヤにもなるよね。