休日の家事

休日の家事

一人暮らしで、
休日の家事

まとめてやる派?
いっさい、しない派?

まとめてやるから
休日は家事で終わる
一人暮らしの人…
…危険です。

まとめてやる

まとめてやるのは危険

洗濯とか、買い物とか、
掃除とか、
まとめてやりますか?

それとも、休日は家事を
できるだけしないで
休暇を楽しむことを
優先しますか?

私は、休日に家事を
いっさい、しない派です。

「まとめてやる」って
思考は、カナリ危険です。

あくまで、
一人暮らしの場合ね。

休日の家事を
まとめてやるのは危険な
思考だと思います。

なんで?

…それは、
「離れ」を生むから。

「離れ」が
中間工程を生み、

中間工程があるから
中間搾取がある。

「離れ」って、なに?
「離れ」って、
どこから離れるってこと?

多分、
「目的」とか「幸せ」です。
そこから離れる。
遠ざかってしまう。

私の場合、
はじめは、
まとめてやる派でした。

洗濯は、1週間分ためてとか、
週末にまとめてお買い物とか
してました。

でも、今は
いっさい、しない派です。

考え方が変わったのは、
家事のことを、

無償の労働と感じるように
なったからです。

自分から、わざわざ
「離れ」を作って
無償の労働を
作り出していないか?

要チェックです。

休日の家事しない派

休日の家事しない派

休日の家事。
今はいっさい、しない派です。

考え方が変わったのは、
家事のことを、

無償の労働と感じるように
なったからです。

それは自分の利益とか
自分の資産価値とか、
時間単価を考えるように
なってからです。

無償の労働のために
休日を潰すのは、
もったいない。

なにが、もったいないかって?
「時間」が…です。

利益が出ないことに
時間を浪費されるのが
イヤだと感じるように
なりました。

休日にワザワザ
対価が得られない労働をしない。
休日は、休養。
もしくは自分への投資。

家事は平日に済ましておく。

買い物は、平日のうちに。
洗濯も、平日のうちに。
掃除も、平日のうちに。

私は、
これらの実現のために

まず、引越しました。

24時間スーパー
至近に引越し

24時間スーパー至近に
引越しました

家事は平日に済ましておく。

買い物は、平日のうちに。
洗濯も、平日のうちに。
掃除も、平日のうちに。

私は、
これらの実現のために

まず、引越しました。

どこに引っ越したか?

24時間スーパー至近に。
職場にもほどほど近く。
コンビニもほどほど近く。

そうすることにより、
買い物を「まとめて」する
必要がなくなりました。
24時間スーパー至近なので
ストックとかいらないんです。

通販もコンビニ受け取りにすれば
会社帰りに受け取れる。

24時間スーパーが至近なので、
自炊の必要がない。
会社帰りに「半額」を選び放題。

クルマが必要なくなったので
手放した。

すべてに「近く」なったので
移動時間がすごく短縮。

平日の午後8時が…
郊外で「遠く」の時の
帰宅時刻でしたが、

街中で「近く」の今は、
平日の午後8時は…
食事が終わって
お風呂も上がる時刻。

半額弁当で、
洗い物もないので、
この段階で就寝準備完了です。

平日の午後8時が…
帰宅時刻から、
就寝準備完了時刻に
変わったのです。

いろいろ手放した

いろいろ手放した

家事は平日に済ましておく。

買い物は、平日のうちに。
洗濯も、平日のうちに。
掃除も、平日のうちに。

まず、洗濯。
「まとめて」していたから
洗濯機が必要だったのですけど
引越しの際に手放しました。

風呂の際に毎日手洗いすれば
休日にまとめてしなくていい。

そして、24時間スーパーで
半額弁当とか、冷凍食品とか、
欲しいと思ったとき、
歩いて買ってくるだけに
なったので、自炊をやめた。

自炊をしなくなったので、
部屋に道具や物資が
少なくなりました。
買い置きとか、いらない。

物資が異様に少なくなったので
掃除がラクになるような
配置にすることができました。

平日にちょちょっとやれば
済むハナシなので、
休日に掃除が不要。

判断基準は…

掃除がラクで
時間がかからなくて
出し入れの動作が少なく
使うものを使う場所の近くに
効率的に配置する。

洗濯機をおかないので
スペースが大きく活用できる。

こんなカンジで
休日に「まとめて」
なにかをする必要を
一切、排除できました。

引っ越すことで、
いろいろ出費もありましたが、

すべてが距離的に
徒歩圏になりました。

結局、クルマを手放すことで
年間45万円の費用が浮いたので
むしろ、黒字化しました。

その日のコトは、
その日のウチに
片付くような生活に
「部屋ごと」移行したら、

黒字化して、
なおかつ、休日は
まるっと時間ができました。

今までの自分は、
「まとめて」やろうとするから
中間搾取される立場
だったんだと気づきました。

洗濯も、
「まとめて」やろうとするから
洗濯機が必要だったんです。

しかも、その洗濯機も
週に1回程度しか稼働しないのに
玄関入ってすぐ右手の場所に
でかいスペースを食って
居座ってる…

買い物も
「まとめて」やろうとするから
保管場所に広い部屋が必要で、
広さのために
遠くて安い部屋に住み、
遠いがゆえにクルマが必要。

掃除も、
いろんなものを「まとめて」
保管しておくから
部屋が煩雑になって
掃除がしにくい…

結局、この「まとめて」が
元凶だったのです。

家事は平日に済ましておく。

買い物は、平日のうちに。
洗濯も、平日のうちに。
掃除も、平日のうちに。

結局、遠くに居たから、
まとめてする必要があり、

まとめてする時間は
休日にしかとれない。

だから、すべての場所から
近くに居ることで
まとめてする必要がなくなり、
平日に済ませられるから、
休日に家事をしなくて良くなる。

多重連鎖構造が
中間搾取の正体

多重連鎖構造が
中間搾取の正体

「まとめて」は、基本的に
「モノ」に対してです。

「モノ」を扱うために
「道具」が必要になります。
「物資」を収容する「広さ」
「道具」を収容する「広さ」

「広さ」のために「安さ」
「安さ」のために「遠く」
「遠い」がゆえに「長時間」
「遠い」がゆえに「クルマ」
「クルマ」のために
「維持費増大」

「必要」のために、アレが必要。
「必要」がゆえに、ソレが必要。

「必要」の
多重連鎖構造になります。

これが、中間搾取の正体。

あ、これって、
「まとめる」ってコト
しようとするから、

いろんなモノが
「必要になる」んだなって、
思いました。

「まとめる」とか、
「一括購入で単価を下げる」とか、
「道具を増やす」コトって、

一人暮らしの時代は
裕福になるための効率が、
とてつもなく悪いのです。
逆効果すぎる

「モノ」を「まとめる」のを
やめて、
「お金」に「まとめる」ほうが
生活がガラリと良くなりました。

「モノ」を「まとめる」ことを
やめたおかげで、
クルマを手放すことができ、

通勤時間は短くなって
部屋はスッキリ掃除もカンタン。

休日はまるごと時間ができ、
おまけに、
大幅な黒字の生活。

休日に「まとめて」は、
その段階で、すでに
多重連鎖の中間搾取
晒されているのかもしれません。

なにがいいたいのかと
いいますと、

洗うとか
掃除するとか
食材を仕込むとか…

作業単位のハナシでは
たしかに、
「まとめてする」は
効率がいいんです。

でも、
まとめてする…の前には
「溜めて」という行為が
発生します。

この「溜めて」という行為が
現金をガバガバと垂れ流す
原因だったのです。

作業単体の効率を
求めるあまり、
「人生」の効率を
下げてしまっています。

いつのまにか
本来の目的を
見失ってしまうのです。

作業単体の効率の向上に
努めても、
必ずしも生活全体の
向上に寄与するわけではない
ということ。

もちろん寄与する場合も
ありますよ。
ただ、寄与しないケースの
ほうが多い。
「まとめて」は、その一例。

つまりは、
モノを溜めると
お金は貯まらない。

と、いうよりも、

物資を買うために
お金を使うって
習性の人と、

お金を増やすために
お金を使うって
習性の人とで、

行き着く先が
違って当然なのです。

気づかないうちに
モノを溜めるために
お金をバンバン使ってるのです。

それもそのはず、
遠方郊外で単価を追った生活を
しているということは、
「カネ持ち」ではなく
「モノ持ち」を目指している
ことに他ならないからです。

発生した離れを撤廃する

時間的な離れが発生する
距離的な離れが発生する

モノを溜める…これは
発生と対処の間に
時間的な離れがあります。
それと
距離的な離れ

月曜日の洗濯物を
土曜日にやる…
時間的な離れ…
そのために
保管スペースが必要になります。

スーパーが距離的に
遠いから、クルマが必要。
遠いから、まとめ買い…

遠いから、
距離的にも時間的にも
「離れて」います。

まとめて買ったモノは
使うまでの
時間的な離れがあります。

それが、もたらすものは
必要な道具の増加と
必要なスぺースの増加。
例えば、
広い部屋とクルマ…。

まとめて…とか、
溜めて…とかするために、

「広い部屋」とか、
「クルマ」とか、
「大きな洗濯機」とか、
「大きな冷蔵庫」が
必要になっちゃうんです。

まとめてする…をしなければ
中間工程の出費って
ほとんどなくなる。

そのためには
時間的な離れを撤廃する。
距離的な離れを撤廃する。

そのためには…
もう、引っ越す。

家事は平日に済ましておく。

買い物は、平日のうちに。
洗濯も、平日のうちに。
掃除も、平日のうちに。

結局、遠くに居たから、
まとめてする必要があり、

まとめてする時間は
休日にしかとれない。

だから、すべての場所から
近くに居ることで
まとめてする必要がなくなり、
平日に済ませられるから、
休日に家事をしなくて良くなる。

幸福に近づく

目的とか幸福に近づく

引っ越して
近づくのです。
どこに?
「目的」とか「幸福」に。

たしかに
初期費用はかかりますが
コレを実行すると
あっというまに
黒字化します。
節約とかしなくても
よくなっちゃいます。

「広さ」を求めて低単価。
「低単価」を求めて遠く。
「遠い」から
クルマなどの家財道具増加。

道具の収納場所を求めて、
もっと、もっと、もっと
広く」「安く」「遠く

材料資材の単価を求めて、
もっと、もっと、もっと
広く」「安く」「遠く

どんどん、離れていきます。
どこから?
「目的」から。

どんどん、離れていきます。
どこから?
「幸福」から。

順調に「広さ」を満たし、
スペースに余裕ができたら、
もっと「まとめて」買いたくなり、
どんどん単価が安いもの
追求する…。

人間が住む住居のはずが、
物資を住居環境基準で保管する
高級倉庫に変わっていきます。

その高級倉庫を維持するために、
お金がどんどん飛んでいく。

しかも、その高級倉庫に
保管されているのは、
どこにでもある
低単価の特売品。

…これが、悪循環なのです。

その特売品は、高級倉庫に
大量保管する意味が有るの?

その倉庫で
無償労働する意味有るの?

その倉庫を構築する意味有るの?

発端は?
「広さ」を求めること。
もしくは
「まとめてする」思考。

「広さ」を求めた時点で、
もしくは
「まとめてしたい」と
思った時点で

なにか間違ってないか?
中間搾取されてないか?
無償の労働のために
出費してないか?

自室を低単価な特売品の
高級倉庫にしてないか?

その倉庫の充実のために
人生の大事なものを
費やしてないか?

そして、
その倉庫番業務を給料ゼロで
無償労働してないか?

自分から、わざわざ
「離れ」を作って
無償の労働を
作り出していないか?

って、
チェックしてみてください。

「安物買いの銭失い」とは
安物が使い物にならない
…という意味よりも、
「単価の安さを求めてる時点」で、
「高級倉庫の維持費」で
「お金が消えていく」という
意味の方が大きいのです。

食品・日用品などを
「まとめて」購入することで、
単価を下げるような
物資の安さを追っかけるほど、

あべこべに維持費が
とんでもなく高額になり
多額の現金を失っていく。

「まとめる」は…
「モノ」を基準にするのではなく、
「お金」にすべきです。

距離的な「離れ」をなくす。
時間的な「離れ」をなくす。

「まとめる」の基準を
「モノ」から「お金」へ…

「まとめる」の対象が
「モノ」だと、
すさまじく危険なのです。

他の記事でも触れてますが…
貧乏さんが物が多い理由…

…それは、財産の基準が
「お金」でなく「モノ」だから。

お金より、モノが大事で、
お金の使い道が、
お金を増やすことではなく、
モノを増やすことにあるから。

「モノ」が在る時点で
「まとめて」したくなる。

「まとめて」したくなるから
「離れ」てしまう。

どこから?
「幸福」から。

「モノ」が在る時点で
「視点」がズレてしまうのです。

どこから、どこへ?
「人生全体の効率」から
「作業単体の効率」へ。

…こういう、悪循環を
抜け出しましょう。

人生は勘違いに満ちています。

目先の効率を求めてしまうと、

「うっかり」、
「視点」と「観点」が
ズラされてしまうのです。

休日の家事に疲れた?

休日の家事やりたくない?

なりたい」ならば
「なりやすい」を
選べばいい。

やりたくない」ならば
「やらなくていい」を
選べばいい。

月10万円生活は、
郊外だとプアーだけど、
街中でするとスローです。

そして…ようこそ!
街中スローライフへ。