学ぶと習うの違い

「学ぶ」と「習う」の違い

学習とは、
学ぶと習うの組み合わせ。
学ぶ習うはチョット違う

「学ぶ」とは、
「気づく」と言い換えると
わかりやすい。

「習う」とは、
「教わる」と言い換えると
わかりやすい。

学習とは学ぶと習うの
組み合わせ

学習とは学ぶと習うの
組み合わせ

学ぶとは、気づき。

イメージとしては、
試合のあとの
(学ばせてもらって)
「ありがとうございました」

気づかせてくれて
ありがとうっていう、
あのカンジ。

「学ぶ」とは、
「実践で気づく」ことです。

自分の足りない点に気づく。
相手より劣っている点に気づく。

自分の良い面に気づく。
相手より優れた点に気づく。

優れた点がわかったことで、
方向性に間違いが
なかったことへの
確信が得られる。

劣っていることが
わかったことで、
今後はナニが必要で
そのために
どんな鍛錬や習得が必要なのか
目星をつけられる。

実践や失敗から
気づくことで
現状に自分自身に
確信を得ること。

そして、今後の方針に
目星をつけること。

実践して気づいて、
自らを顧みて
今後の方針を整理し、

方針を進めるために
必要な情報を収集する。

ここまでが「学び」

良い表現ではないけど…
「教わる」ための前段階。

では、習うとは?

では、習うとは?


では、「習う」ってナニ?

「ならいごと」とか、
「スクール」とか、

先生とか教員とか
指導員から教えてもらうこと。

あらかじめ敷かれたレールに
沿った順路で
指導してもらうこと。

教本とか参考書、
ノウハウ本とか資格本を
読むことも、
「習う」に分類されますね。

つまり、「学習」とは、
「学ぶ」と「習う」の
組み合わせ。

「学ぶ」と「習う」は
ちょっと違う。

自分の足りない点に
気づいて、
先生なり教本から
教えてもらう。

気づいて、教わる。
それが学習。

敗戦や失敗から
欠けてる「何か」に気づいて、

自分に欠けてる「何か」を
教わるために先生や教本を探す。
ここまでが「学ぶ」

目星をつけた先生や教本から
身につくまで教わる。
鍛錬する。継続する。
ここまでが「習う」

学ぶためには「挑戦」
試合や実践。成功と失敗。

習うためには「継続」
トレーニングや反復練習。

こんなカンジで
学ぶと習うは違うんですよね。

敷かれたレールを
進むのが習う。

自分に合ったレールを
探し当てるのが学ぶ。

学ぶと習うを
分けて考えることで
学習の効果も上がるし、

逆に効果が上がらない原因も
なんとなくわかるのでは
ないでしょうか?

結局、気づきがないと
教わっても身にならない。

「他人は変えられない」のも
同じです。

「気づかせないと」
「教えても」
「わかってくれない」

実はコレ、
自分に対しても同じです。

「自分を変えられない」のは、
当の意味での」
づきがないから」

当の意味でのづき」がない。
つまり、
本気」じゃないから。

だから習い事だけ継続しても、
イマイチ成果が上がらない。

「気づきがない」状態での
鍛錬の継続に意味が無いとは
申しませんが…

やっぱり、
気づきを得るには
実践しなきゃね。

とりあえず試して、
失敗してみる。

ナニが良くて
ナニが悪いか
気づいてみる。

良いか悪いか
じゃなく原因

良いか悪いかじゃなく原因

良いか?悪いか?
…じゃなくて、
それが「原因」ってコトバに
置き換えてみる。

ココが悪い…じゃなく、
ココが原因…に、置き換える。

そうすると…
それって、失敗じゃなくて
ただの経験であり、
ただの実験だよね。

現状の「貧乏」も
ある意味で、実践した結果です。

このサイトは、
私の貧乏時代に得られた
「気づき」で構成されています。

まずは皆様に
「気づき」を拾ってほしい。

気づきから目的は生まれ、
目的なき習い事は
身にならない。

成果が出ないのは
目的がないから。

つまりは気づきの質が
イマイチだから。

質の良い気づきを得るには?

全力で挑戦してみることだよね。

つまりは、
そのレール…って、ホントに
あなたに合ってますか?
…ってことを問いたいのです。

当の意味での「づき」から
そのレールを選んだのですか?
…ってことを問いたいのです。