無課金主義

無課金ユーザーの
必要性とは?

ネトゲ・ソシャゲなどの
ゲームは
課金しなくても楽しめます。

無課金ユーザーの必要性とは、
優位性という差別化の創造。
優越感の有料化。

「ソシャ」ゲってジャンルは
優越感」を
有料化」して
「課金者」に売りつける
「商売」なんですよ。

ゆえに、
「下層の劣等」を担当する
「無課金」プレイヤーが
原材料」の役割を
「担う」のです。

ソシャゲの商品って、
「優越感」なんです。

「ソシャ」って
言ってる段階で
課金額の大小による
階層の線引きを
楽しむゲームのことだから。

無課金貧乏

課金しなくても楽しめる理由

課金しなくても
楽しめる理由は、
無償労働への自由参加だから。

無償労働への自由参加。

これを、俗に
フリーといいます。

フリーのゲーム。
無料のゲーム。

無料で、自由に、
タダ働きに参加できる
って、意味なんです。

NPCやAIのキャラでなく、
プログラムでは
表現できないような、

多様性と意外性を併せ持つ、
人間が操作する雑魚キャラ」

…を、演じるお仕事
無償で行ってくれる人たち。

演じるという無償労働。

運営にとって、
無課金ユーザーは、
「お客」
じゃなくて、

従順なる
「無償労働者の皆」ですよ。

まさに、無課金主義最強
賛否はどうあれ、
とりあえずこのページを
ブックマークしてね。


貧乏だから無課金…
「ではない。」

貧乏だから、無課金…
「ではない」。

無課金プレイとは
「貧乏」っていう最下層の
「ジョブ」でプレイすること。

そういうキャラを
選んだってだけ。
良いか悪いかってことじゃなく
単に、個性。

ゲームの中で
「最下層」っていう
役割」でプレイするって
選択」しただけ。
自由意志による尊い選択。

「ソシャ」ゲってジャンルは
優越感」を
有料化」して
「課金者」に売りつける
「商売」なんですよ。

ゆえに、
「下層の劣等」を担当する
「無課金」プレイヤーが
原材料」の役割を
「担う」のです。

ソシャゲっていうジャンルを
無課金でプレイする
っていうことは、

優越感っていう商品の
原材料を無償労働で
提供することに、
ハナから同意することです。

自由意志による尊い選択。
それは、
誰にも恥じることではない。
誰かにとやかく
言われることでもない。

「ソシャ」ゲって、
「ソーシャル」のことね。
課金で
階層が変わるってことを
体験できる最良の教材。

「ソシャ」って
言ってる段階で
課金額の大小による
階層の線引きを
楽しむゲームのことだから。

「ソシャゲ」って、
「課金すること」で
「無双する」…っていう
「娯楽」を
「課金ユーザー」に提供する
「ビジネス」のこと。

「無課金プレイ」とは、
「運営に加担」し
優越感の原材料」を
「無償提供」すること。

「課金プレイ」とは
優越感を購入」し、
「ゲーム内」で
「無双する」ことができる
「サービス」を受けること。

無課金者とは、
おもてなし「する側」。
ゲームを彩る雑魚キャラ役。

課金者とは、
おもてなし「される側」。
ゲームの主人公役。

どちらの目的で
そのソシャゲをプレイするの?

雑魚キャラと主人公の
どちらでプレイするの?

…っていう、
選択の問題なのです。

ちなみに運営とは、
この「おもてなし」を
「する側」と「される側」の
「線引き」を管理したり、
そういう「場」を整備して
提供するのがお仕事です。

課金しなくても
楽しめる理由

無課金でもいい?
課金しなくても
楽しめる理由

さて、
無課金ユーザーの役割とは、
優位性という差別化の創造。

「ソシャゲ」って、
「優越感」を
「有料化」して
「課金ユーザー」に
「販売」する商売のこと。

そのために…
「劣等を担当」する
「無課金ユーザー」を
「優越感という商品」の
「原材料」として
「無償労働に従事」させる
「ビジネスモデル」です。

それって、どういうこと?

っていうのを、
これから解説していきます。

いまは同様のゲームが
たくさんありまして、
ユーザーの獲得も
競争になってますよね。

だから、登録無料にして
敷居を下げてます。
今は、登録無料が
あたりまえですね。

それと、やっぱりネトゲは…

にぎやかでないと
つまんないです。

ログインユーザーが
多くないと、
始まらないんですよ。

ユーザーが居ないと
始まらないから、
無課金でもいいんです。

だから、
無課金でも楽しめるように
制作しているのです。


無課金至上主義。
無課金で
ゲームを楽しむために、
知っておかなくては
いけないこと、
その心構えとかを
記してみました。

やっぱりゲームは
フェアでないとね。

そのためには
ソシャゲの
収益構造を知ること。

無課金こそ
至高のカタチにして
「個性」なのです。

無課金は
いやいや、
絶対正義でしょ?

無課金主義最強。
だって、貧乏だと
お金ないから
課金できませんもんね。

プレイヤーとユーザー

無課金でもいい

無課金でもいいんです。

つまりは…

にぎやかでないと
つまんないです。

これにつきます。

ログインユーザーが
多くないと、
始まらないんですよ。

基本的に、
ゲームですので、

登録してくれて
遊んでくれる人がいないと
成り立ちません。

ですから、
無課金プレイヤーでもいいし、
無課金ユーザーでもいい。

だから
登録は無料でも…、

課金しなくても
楽しめるのです。

逆にいいますと、

楽しんでもらわないと
いけないのです。

なぜ?
…始まらないのです。

なにが?
…商売が。

どういう?
…課金してもらう。

つまりはですね…

無課金でも楽しめる
ゲームでないと…
課金する人が
現れないんですね。

無課金で遊んでいる人の中から
課金する人が現れる…
それを期待してるんじゃなくて…

絶対に課金しない
「無償労働の劣等担当」の
数が圧倒的に多くないと、

優越感を買い求めにやってくる
「もともと課金する層」が
流入してこないのです。

「優越感の質」は
「底辺の劣等者の数」つまり、
「無課金ユーザーの数」で
「決まる」のです。

それが、その
ソシャゲの品質なんですね。

無課金者数が多い=高品質
…って、コトなんです。

無課金ユーザーが多ければ
多いほどに、
課金ユーザーの得る
優越感の質は高くなります。

無課金ユーザーの役割は
そこに寄与すること。
役割っていうか、
社会的使命ですね。

「課金する層」…つまり、
「ソシャゲ」の
「本当のお客様」は、
「高品質なゲーム」にだけ
「流入してくる」のです。

高品質ってナニ?

…それって、つまり…
無課金プレイヤーの「数」
…ですよね。

だからこそ、
無課金でも楽しめないと
商売にならないのです…。

ここに
ソシャゲっていう商売の
キモがあり、

わざわざ登録無料の
広告を数億円かけて
打ちまくる理由が
あるんですね。

課金する人って
そのゲームを楽しんでいる
人の中にしか、
現れないのです。

だからこそ、
無課金でも楽しめるのです。

楽しめて、
あたりまえなのです。

課金する理由

無課金でも楽しめるのに
課金する理由

無課金でも楽しめるのに、
課金する理由って…

ナニに対して
課金するかですが、
今の主流は、
ゲーム内のアイテムや
ゲーム内での
回復アイテムなどに
対してですよね。

その根源にあるのは、

ラクしたい…
早く長く遊びたい…
有利になりたい…

…などでしょうかね。
ま、一例に
すぎませんけど…。

つまるところ、
もっと楽しみたいからだと
思うんです。

無課金でも楽しめる…
無課金とか関係なく
楽しい…

でも、
もっと楽しみたいから…

もっと、もっと、
有意義な時間を
過ごしたいから
その対価を払う。

悪いことではないと
思います。

運営が、そこを
収益のポイントにするのも
悪いことではないと
思います。

むしろ、
収益のポイントとして、
その部分を
選択したモデルこそ
意味があるのだと思います。

そこに、基本プレイ無料の
秘密があります。

無課金ユーザーが必要

無課金ユーザーが
必要な理由

無課金ユーザーが必要な理由。

ここから、だんだんと、
イヤなハナシ
なっていきます…。

覚悟してくださいね…。

さて、課金は…
楽しみたいから、
するんです。

その、楽しみってなに?

それは、優位性です。

優位性っていう
差別化を生み出し、
その境界線を「課金」で
線引きします。

優位性を獲得したいから
課金するんですよね。
課金してアイテムを得て
強くなる…

誰と比較して
強くなったり、
優位性を示したりするのか…?

もう、お分かりですよね。
アイテムを持っていない
ユーザー…

つまり、
無課金ユーザーです。

課金ユーザーは、
無課金ユーザーに対して、
優位性や
差別化を得ることで
そのゲームを
楽しんでいます。

つまり、運営は、
優位性や差別化を
課金ユーザーに
提供しなくては
なりません。

と、同時に、
劣勢を担当する
無課金ユーザーが必要
なります。

それが、
無課金ユーザーの役割です。

その役割を、
無課金ユーザーには

意識させることもなく、
イヤな思いを
感じさせることなく

あくまで自然に、
ゲーム内で劣勢を
演じて頂く役割があるのです。

つまり、装備的に
初期状態で最弱である
パンツ一丁
無課金ユーザーが
大量に必要。



ノンプレイヤーキャラクター
とか、人工知能では
ダメなのです。
あくまで、ユーザー。
人間が演じないと
いけません。

だって、課金プレイヤーは、
相手が人間だから
優位性を感じるのです。
NPCやAIに対してでは、
意味がないのです。

そして、劣勢を演じる
プレイヤーが多ければ
多いほどに、
課金ユーザーの優位性は
大きくなり、

より、課金ユーザーに
満足を提供することが
できます。

だから、
無料でプレイする
無課金ユーザーが
大量に必要なのです。

イヤラしいハナシ、

課金ユーザーの
餌食になったり、
課金ユーザーを
讃える役目が
あるのです。

課金者が
ランキングの
上位に君臨して頂くために、

ランキング下位を
埋めて頂く役目。

課金者に優位性を
満喫して頂くために、

劣勢を担当して頂く役目を
無償労働してくれる人たち。

それをイヤな役回りとして
とらえると、
誰もそんな役割なんて
したいワケありません。

だから、
その役目を楽しんでもらう
必要があるのです。
その役目が楽しめる要素を
盛り込む必要があるのです。

イヤな役割だと、
感じさせない工夫が
必要なのです。

NPCよりもAIよりも、
高度な振る舞い
ゲーム世界の中で
して頂くプレーヤーこそ、

無課金プレイヤー
なのです。

無課金プレイヤーの
役割を、
無償でやって頂く人
集める必要があるのです。

これこそが、
冒頭で言った…

ネトゲ・ソシャゲなどの
ゲーム
課金しなくても楽しめます。

無課金ユーザーの役割とは、
優位性という差別化の創造。
優越感の有料化。

課金しなくても
楽しめる理由は、
無償労働への自由参加だから。


無償労働への自由参加。

これを、俗に
フリーといいます。

フリーのゲーム。
無料のゲーム。
フリーのサービス。
無料のサービス。

無料で、自由に、
タダ働きに参加できるって、
意味なんです。

NPCやAIのキャラでなく、
プログラムでは
表現できないような、

多様性と意外性を併せ持つ、
「人間が操作する雑魚キャラ」

…を、演じるお仕事
無償で行ってくれる人たち。

…この意味
お分かり頂けたかと
思います。


無課金っていう
プレイスタイルの人を
たくさん集めて、

時間給がゼロの人を
たくさん集めて、

多様性と意外性を持つ、
人間が操作する雑魚キャラを
たくさん用意することにより、
ゲームを面白くし、

っていうか、
「人間様」を給料ゼロの
「雑魚化」して
貶める」ことにより、

「面白くなったゲーム」に
「課金するスタイル」の
ユーザーを呼び込むのです。

これがスマホゲーや、
ソシャゲの集客構造にして、
収益構造です。

だから、
「無課金」っていう
プレイスタイルの人を
先に集めなきゃならない。

階層の下層を埋め尽くす
「人間様」を用意しなきゃ
ならない。
NPCやAIじゃなく人間様。

順番としては、
先に「無課金」召集。
その後に、
「無課金」の多さを
「課金」スタイルの
ユーザー層に
アピールしていくのです。

一番目にポータルサイト
特典付き先行登録で、
無課金プレイヤーを召集し、

二番目にバナー広告
無料プレイをアピールし
無課金プレイヤーを召集し、

三番目にTVCM
登録者数うん万人突破とか
「無課金者」を
「課金者層」にアピールしていく
順番となります。

先行特典、
無料アピールで

お金を出さないけど
無償労働してくれる人を
たくさん集めて、

うん万人突破アピールで
お金を出す層を
たくさん集めて
収益化する。

ターゲットと
役割が完全に分かれて
いるのです。

楽しい「無償労働」を
用意することも大事だし、

差別化による優位性を
作り出すことも
大事なのです。

収益源である
優位上層を多くするには、
それを支える劣勢下層の
圧倒的多
必要なのです。
無償労働者
そのゲームのカギなのです。

なぜなら…

課金することで
上位に駆け上がる
「おもしろさ」を
提供するために、

あらかじめ、
下層を埋め尽くす
無課金を大量に
用意しておく。

そのための施策が…

1)特典先行登録で無課金
2)バナー広告で無課金
3)TVCMで課金者

召集と募集。

特典と無料で釣って、
無償労働者を
し抱え、

召使いの多さをアピールして
お金を払ってくれる
お客様を集する。

…このステップで
誠実なる商売を
進めていきます。


運営にとって、
課金者は、お客様。

運営にとって、
無課金者は仲間。
無償労働者っていう
仲間(下僕)。

課金者にとって、
運営はサービス提供者。

課金者にとって、
無課金者サービス提供者。
運営の下っ端「係員」にして、
接客担当者。

無課金者にとって、
課金者は「お客様」。
おもてなしの対象者。

無課金者にとって
運営は「雇い主」。
給料払ってくれない雇い主。
上司であり、ご主人様。

給料払ってくれないけど、
対価として、
「ゲーム」っていう
巨大なSNSの利用権利を
与えてくれるよね。

無課金にとって、
課金者は「お客様」

お客様の要望には
運営と一丸となって
一生懸命、
応えていかないとね。

だからこそ、
今日も一生懸命、
誠実に無課金プレイを
がんばろう。
全力で運営の意図に従おう。

どうしたら、
課金者が
もっとお金を払うのか?

…それを考えて行動しよう。

無課金者はそのゲームの
営業マンであり、
店員さんあり、
案内役であり、
ヤラレ役であり、
接客係なのです。

お客様の要望に
誠実に応えて、
上司からの指示にも
忠実に応えてね。

さぁ、
今日も、明日も、
あさっても、

楽しい無課金プレイの
始まりです。

楽しい、楽しい、
給料ゼロの
無償労働の始まりです。

課金者は、ゲスト
無課金は、
ボーイでありキャスト
…なのですよ。

無課金の楽しみとは、
ボーイでありキャストとして
課金者に
いくらお金を払わせたか?
そこが楽しみ。

課金者が多くなるのは
成果として
良きコトだと考えよう。

課金させ上手
至高の無課金プレイです。

ただの野次馬では
つまんない。
積極的に
「課金させ上手」を
目指そう。

無課金は物乞い?
無課金は乞食?
上等だぜ、このヤロー!

課金者は
黙って課金だけしてろ!

…って、カンジの
心持ちくらいが
ちょうどいいでしょう。

「ソシャ」ゲって、
「ソーシャル」のことね。
課金で
階層が変わるってことを
体験できる最良の教材。

「ソシャ」って
言ってる段階で
課金額の大小による
階層の線引きを
楽しむゲームのことだから。

「ソシャ」ゲってジャンルは
「優越感」を
「有料化」して
「課金者」に売りつける
「商売」なんですよ。

ゆえに、
「下層の劣等」を担当する
「無課金」プレイヤーが
「原材料」の役割を
「担う」のです。

ソシャゲっていうジャンルを
無課金でプレイする
っていうことは、

優越感っていう商品の
原材料を無償労働で
提供することを
ハナから同意することです。

これって、
社会に対し価値を生み出せる
オトナなら知ってること。

社会に対し、まだ
金銭的価値を生み出せない
コドモはまだ知らないこと。


課金による優劣がイヤなら、
「ソシャ」ゲっていう
ジャンルのゲームを
しなきゃいいだけ。

フェアで対等な
ゲームが好きなら
将棋とか、麻雀とか
色々あるでしょ?

…って、ことなのです。

ソシャゲの「ソシャ」は
ソーシャルのこと。
socialのこと。
社会性とか
社会的地位、階層とかの
意味合いが強いのです。

今は
ソーシャルメディアとか
社交的な意味合いで
とらえられるケースが
増えてますが、

それでも社会階級っていう
意味合いも持ってますから。

ソーシャルゲームって
言ってる時点で、

課金額の大小によって
ゲーム内の地位を
ピラミッド状に
構築するぜって、

運営は言ってるんですよ。

そうやって
設計されて
開発された
ゲームなんです。

無課金でプレイってことは
課金額ゼロに応じた、
ピラミッド最低辺階層の
役割でプレイするぜ!

…ってコトに同意して
スタートすること。
そういうキマリ。

そのキマリを
知っててプレイするのか?

知らないでプレイするのか?

アナタはどっちでした?

無課金ユーザーの価値

ゲームの隆盛は
スポーツ振興と同じ。
無課金プレイヤーの価値

構造はスポーツ振興
とてもよく似ています。

競技人口を増やす。
裾野を広げる。

これは、
ウガった見かたというか、
イヤラしい表現に
なってしまうのですが、

ピラミッドの底辺を
大きくすることなんです。

そうすることで、
ピラミッドは大きくなる。
ピラミッドの高さを
支えることができる。

ピラミッドの頂点に君臨する
プレイヤーは、世界に通じる
アスリートになるし、

ピラミッドが大きければ
それだけ、お客さんが呼べる。
観客も多くなり、
スポンサーもついて、
プロリーグができたり
競技のレベルが世界で
通じるようになる。

日本の野球のレベルが
高いのは、
このピラミッドが
高く強大だからです。

比較して、
世界レベルに達していない
スポーツは、
単純にピラミッドの
規模が小さい。
歴史も浅い。

ゆえに
プロのリーグが無かったり、
あっても、
プロのプレイヤーの
年俸が少ない状態です。

イヤな表現になりますが…

ゲームにおいての
無課金ユーザーは
ピラミッドの底辺なんです。

スポーツ振興と同じで、
常に新規のプレイヤーを
獲得していかないと、
ピラミッドが
維持できないんですよ。

課金ユーザーより、
無課金ユーザーのほうが、
圧倒的に多数でないと、
課金ユーザーは優位性を
楽しめない。

プロスポーツで、
トップの選手が讃えられるのは
それ以下の選手が
たくさんいるからです。

プロ選手の凄さって、
そのスポーツを
やったことある人しか、
わからないのです。

そのうえで、
プロ選手ってのは、
1万人とか、10万人に
ひとりの才能…
「ってこと」にしないと
ダメなのです。

「二人に一人」っていう
レベルでは、ダメなのです。

みんな同レベルでは
ダメなんです。
公平とか平等じゃ、
ダメなんです。
格差が「作られないと」
ダメなんです。

ピラミッドの
上の人と下の人が
生まれることこそ
価値なのです。

スゴイって思われる人と
スゴくない人が
二極化することが
価値なのです。

たくさんの初心者がいて、
トップ選手のコトを
スゴいと思う人が
たくさんいることで、
トップ選手がスゴいという
認識と価値が生まれる。

凄いと思ってくれる人が
居ないなら、
価値はゼロなんです。

それって、凄いの?
…んー?わかんない…。
ってゆか、知らない。
って、人ばっかりだったら
誰も讃えないですよね?

大勢に認識されることで、
初めて価値は生まれます。

ゆえに、
大勢のヒトから、
スゴいと思われるようになった
そのトップ選手の試合で
たくさんの観客を呼べる。

たくさんの人が
見にくるから、
そこに広告出したい
企業がスポンサーとなる。

スゴいトップ選手を
タレント起用して、
企業の広告塔や
イメージ戦略に
使われるようになる

結果、そのスポーツリーグが
潤い、選手の年俸が増す。
夢のある職業という認識が定着し、
ますます競技人口が増える。

逆に、競技人口がほとんど
いないと、
そもそもトップ選手の価値を
大衆が理解できない。
そもそも、
そのトップ選手のことが
素晴らしいと思えない。
誰も見向きもしない。

そうすると、
そこに広告出したいなんて
思う企業は無い。
そこに1円たりとも
お金は流れない。

そうなると、
そのスポーツは…
そのスポーツの選手の価値は…
ほとんどゼロ。
認識されないので、
価値は生まれない。

それが、
どんなにスゴいコトであっても、
大衆には判別不能です。
どんなにスゴくても、
社会的価値がゼロなんです。

ゲームも、
このスポーツの
世界の構造と
チョット、似てるんですよね。

ゲームが上手な人って…
やっぱりスゴい。

ゲームで活躍してる人って…
やっぱりスゴい。

ゲームでランキング上位って…
やっぱりスゴい。

重課金戦士って…
やっぱりスゴい。

みんながスゴいって
言ってるから…
やっぱりスゴい。

この…
スゴいって
思ってくれる人の
数を増やすことが
価値なのです。

スゴいって思ってくれる人とは、
負けてばっかりの
大勢のヘタクソどもなのです。

スゴいって思ってくれる人とは、
ヘタクソなんだけど、
心底、楽しんでくれる人たちです。

スゴいって思ってくれる人とは、
つまり、そのスポーツ、
そのゲームの
ファンなのです。
そのスポーツのファン。
ネトゲというカテゴリ、文化の
ファンなのです。

プロスポーツの選手が
ファンを大事にするのは
あたりまえ。
プロリーグが
ファンを大事にするのは
あたりまえ。

ファンがいないと、
プロのリーグって
存在できないのです。

スポーツの
競技人口を増やす。
ネトゲの
無料プレイヤーを増やす。

ファンの数を増やす。
登録無料は、その入り口。

ネトゲっていう商売も、
スポーツっていう業界も、
学校法人っていう商売も、
芸能界っていう商売も、
ファッションブランドっていう
商売も…

飲食店から自動車メーカーまで
ありとあらゆる商売、
どんな商売も、
ある意味で人気商売。

つまりは、
ファンの数がすべて。

それが様々な
価値を生み出す源泉。

「業界」に
価値があるのではなく、
その業界の
「ファン」に
価値があるのです。
つまり、
ファンの数…それが
価値そのもの。

ファンの笑顔を絶やさない…
それが、
その業界の存在意義であり
使命なのです。

ネトゲも、
スポーツも
構造は同じなのです。

虚構のピラミッド

無課金だって価値が高い。
虚構のピラミッドを
支えるのです。

底辺が小さかったり
中身がスカスカだと
構造物は維持できずに、
崩れてしまいます。

無課金ユーザーは
ゲームという
虚構のピラミッド
底辺を担うのが
役割です。

課金ユーザーに
優位性を楽しんでもらう
役割があり、

また、転じて
自分自身が
課金ユーザーになる
可能性も秘めています。

ここで気づいたと思いますが、
無課金ユーザーである限り、
課金ユーザーの得ている
満足感には辿りつけません。

運営上、仕組み上、
そうなっているんですね。
それぞれ役割が
180度違うから。

役割の方向性が
真逆なんですよ。

ゲストとキャストの
立場の違い。

構造を理解して、
無課金を「楽しむ」ことは
遊びとしておもしろいです。

構造とは?すなわち、
ゲストとキャストの
立場の違い。

キャストとして、
演じる仕事を
楽しむっていうのは
アリなのです。

でも、構造を
理解していないで…

無課金で課金ユーザーを
越えようと頑張るって
遊び方は、
無駄のように思えます。

その先に
なにがあるのかと
考えると、
なにもないので。
評価もされないでしょう。

そういうコトを
求められていないので。

じゃぁ、
何を求められているのか?

それは…


NPCやAIのキャラでなく、
プログラムでは
表現できないような、

多様性と意外性を併せ持つ、
「人間が操作する雑魚キャラ」

…を、演じるお仕事
無償で行ってくれるコト。

…ですよね。

人間が操作する
「雑魚キャラ」なので、

「プレイヤー」じゃ、
ないんですよ。

「プレイヤー」であって、
「プレイヤー」じゃない。

どっちかというと、
労働者

なんていうか、
無償労働者。

機械的な作業を
代替する労働者。

人間なんだけど
扱いは「機械」といっしょ。

人間が操作してるんだけど、
そこに人格は反映しない。

だれの目にも
反映されない
対象であることを
演じること。

そう、
演じるということ。

弱いキャラを
創意工夫で上手に操作して
弱いキャラとして
もがきあがく
ゲームのなかでの俳優。

役者にして、演者。
お芝居の脇役とか背景。

そういう「お仕事」を
無償で行うこと。

そこに自由参加で
参列すること。

演じるという無償労働。

その結果、
ランキングの下位を
埋め尽くす「お仕事」。
ピラミッドの
底辺を支える石垣。

人間が演じるにも
関わらず、
その結果は
NPCやAIと同じ扱い。

ぶっちゃけたハナシ、
パンツ一丁のレベルMAXを、
カッコいいとか、
スゴいとか、
思ってくれるヒトが
極めて少ないのです。
実際問題、
ほとんどいない。

ってことは、
その行為は価値がない。
自己満足の領域を出ない。
ドン引きの対象でしかない。
むしろ、
マイナスでしかない。

求められていないことを
達成しても、
だれも価値を
感じてくれないのです。
そんなこと、興味がない。

がんばった結果が
みんなからの
ドン引きの対象だなんて、
なんの罰ゲームだよって
ハナシです。

スゴいって思われかたが、
すんごいイヤな
見られかたなのです。

無課金プレイヤーには
無課金プレイヤーの
役割を果たすことが
期待されているんです。

その期待を果たしてこそ
価値があるのです。
そのほうがスマートなのです。

なんで、
そんな見られかたを
されるのかというと、
中身が人間だからです。

ロボットや、AIやNPCじゃ、
ないからです。

中身が人間である以上、
ステージに見合った、
振る舞いや、装いが
求められ、期待されるのが
当然でしょう。

レッドカーペットを
パンツ一丁で歩いたら、
おかしいでしょう?
見てるほうが、
いたたまれない。

中身が人間である以上、
ゲームの中だって
ふさわしい行動が
とれないと、
カッコいいとは
思われないのです。

ふさわしい行動が
とれないと、
大衆は、「ヘンなヒト」と
認識します。
むしろ、
避けられちゃうんですよね。


もし、課金兵の満足感に
近づきたいと思ったとき、

求められてもないコトに
時間や労力を割くより、

その時間で、
働いて稼いだ額を
課金するほうが、
何倍も、
っていうか、数百倍も
有意義ですよね。

ゲストとキャストの
立場の違い。

キャストが
ゲストのように
振る舞うなんて
ありえないし、

ゲストのように
振る舞いたいなら、
やっぱり、
ゲストにならないと。


このあたりが、
スポーツと若干
異なる部分ですね。
続けたり、
頑張っても、
その先に実りがない。

その瞬間という
時間を楽しむゲームは
まるで、泡のようです。
時間と共に消え失せ、
実体としては
なにも残せないのです。

記憶として残るかも
しれませんが、
結局、新しい娯楽の魅力に
上書き保存されちゃうのです。
跡形もなく
忘れ去られてしまうのです。

ほんとうに
虚構のピラミッドなんです。


何が言いたいのか
といいますと、

無課金「で」楽しむ…と、
無課金「を」楽しむ…と、

チョット違うということです。

ゲストとキャストの
立場の違い。

無課金「で」は、
内心、課金したいんだけど
お金がないから
無課金「で」なにか
対策を探そうとする…
でも、探しても答えは
無いんです。
ここまで説明したように、
ソシャゲの構造上、無い。

ゲストとしての
楽しみ方は、
ゲストにならないとダメ。

でも、構造を理解して
知った上では、
無課金「を」楽しむ
スタイルって確立できる。

無課金とは、
キャストなんだから、
キャストとして
その範囲内で
楽しめばいい。
その役目自体を
楽しめばいい。

課金で優位性を得るという
ネトゲの特性に
一定の理解を得た上であれば
無課金の遊び方って
あるって思いませんか?

賢明な皆様なら
もう、お分かりですよね。

無課金「を」楽しむ…
つまり、無課金主義ならば…

課金で優位性を得るという
スタイルから離れ、
自分一人を
プレイヤー単体と
みなすのではなく、

あなた自身が
ゲーム全体への影響を与える
ひとつの窓口として
振る舞う…

そのゲームの世界との
関わりそのものを
楽しむという観点を持つと
楽しめるということです。

つまりは、
ボーイであり、
キャストであれってコト。

どうしたら、
課金者が
もっとお金を払うのか?

…それを考えて行動しよう。

課金者は、ゲスト。
無課金は、
ボーイでありキャスト。
…なのですよ。

無課金の楽しみとは、
ボーイでありキャストとして
課金者に
いくらお金を払わせたか?
そこが楽しみ。

課金者が多くなるのは
成果として
良きコトだと考えよう。

課金させ上手
至高の無課金プレイです。

ただの野次馬では
つまんない。
積極的に
「課金させ上手」を
目指そう。

無課金ユーザーの役割

ソシャゲでのイベント…
無課金の役割と…
課金者の役割と…

イベント…っていっても、
いろんなものがありますが、

アイテムもらえるとか
結構あるでしょ?

無課金のユーザーにも
バラまいてたりします。

ま、理由は
ピンときましたよね。

底辺ユーザーの
底上げなのです。

そうすることで、
課金ユーザーの優位性が薄れ、
また課金しないと
満足できなくなります。

無料でアイテムを配ることで
逆に収益の増加を
見込んでいるのです。

底辺が底上げされたことで、
上位のプレイヤーが
課金をして、
自分自身の相対的
ポジションを維持しようと
課金します。

でも、
これも必要なコトなんです。
現金収入ないと
運営できないですから。

無課金ユーザーは、
期間限定の、だけど
毎度おなじみの
定期イベントで
アイテムばらまきに
積極的に群がる役割
あります。

そして、
課金ユーザーは
底辺の底上げに比例して
さらに課金して
ピラミッド全体の
高さを上げて、
運営構造を
維持する役割があります。
自分自身の
相対的ポジションを
維持する必要があります。

そして、運営側も、
定期的にイベントを
行う役割があるのです。
「期間限定」のイベントを
「定期的に」
何回も、何回も、
行う役割があります。

アイテムを
ばらまくイベント、

課金ユーザーに
優位性を味わってもらう
イベント、

どちらも定期的に
行い続ける役割があります。

この役割は、ほとんど、
義務なんですよ。
そうしないと、
そのゲーム、
破綻しちゃいます。

無課金なら無課金の義務。
課金者なら課金者の義務。
運営側なら運営側の義務。

それぞれ、ちゃんとあって
その義務を果たす必要が
あるのです。

運営は、
「期間限定」の
イベントでばらまき、

無課金は
それに群がり、

課金者は、
底上げに応じて課金し、

運営は、
優位性を
楽しんでもらうために
また「期間限定」の
イベントでばらまく…

運営は「ばらまき」
無課金は「群がり」
課金者は「課金」

この役割のサイクルを
グルグルと
回していかなくては
いけないのです。

運営の役割とは、
イベントにあり。

課金者の役割は
課金にあり。
ログインせんでも、
プレイせんでも、
なんもせんでいいから
とにかく「金を出せ」。

そして…
無課金ユーザーの役割とは、
優位性という差別化創造

無課金ユーザーは…
乞食とか、物乞いとか…

無課金ユーザーは
うざいとか…

そんなコト言われても、
役目でやっているんです。

そういう演出なんです。

自分で稼いだお金で
課金してる
常識と良識のあるオトナなら…

多少なりとも
社会を経験してる大人なら
こんなこと百も承知でしょ?

無課金が乞食とか、
あたりまえっす。
役割でやってるんです。

無課金はうざいとか、
あたりまえっす。
ウザがられるように
がんばってるんです。
お役目なんです。

ウザイ乞食を
仕事としてやってるんです。
まぁ、給料ゼロの
無償労働だけど、
その役目を好きで
やってるんです。

仕事熱心の成果です。

課金者が…
「課金することで」
「上位に駆け上がる」
「環境の創造」

一生懸命、乞食をやって
課金者の皆様に
しっかりと「うざ」がられて、

「環境の創造」に
寄与してるんです。

まがりなりにも、
創造ですからね。

とっても
クリエイティブ
お仕事です。

クリエイティブ…
なんか、カッコいいよね?
カッコいいし、人気だよね?
「やりがい」があって、
人気の職業だよね?

っていうか、職業なら、
クリエイターじゃね?

優位性という差別化を
クリエイトする
今、流行最先端の
クリエイター。

いや、もしかしたら、
ゲーム世界を彩る
アートを構築する
アーティストかも
しれません。

無課金はアーティスト。
無課金はクリエイター。

課金者は
アーティストが織りなす
アートと、
クリエイターが
クリエイトする
エンターテインメントを
お金を払って見にくる
オーディエンスに過ぎないと
考えよう。

無課金っていう
アーティストと、
無課金っていう、
クリエイターが織りなす

夢のアミューズメントパークへ
ようこそっ!!

ってカンジで
課金者のお客様を
おもてなししよう。

こんな風に
カタカナいっぱいで
表現すると…なんか、
カッコよくないですか?

無課金こそが
ファンタジスタだって、
思いませんか?

って、いうか、
私みたいな、底辺無課金で
自意識高いの意見って
説得力ありまくりじゃね?

もしかして、
あらゆる屁理屈を
論破しちゃった?

つーか、
無課金主義が
天下を平定しちゃった?

収益構造

課金しなくても
おもしろいゲームとは?

結局、
無課金ユーザーの役割とか…
スポーツ振興の構造に似てる…
なんて…

フツーのオトナは知ってます。

そもそも、
サラリーマンとして
「働く」って、
そういうことなのです。

営業で客先まわったり、
製品を設計したり、
広告考えたり、
製造工程を改善したり、

自社ブランドの
ファンを増やすための
営業戦略のもと、
社員一丸となって
行動しているのです。
ネトゲの集客と本質的には
同じコトしてるんです。

社会人にもなって、
ソシャゲの収益構造
気づかないほうが、
圧倒的に少数派だと思いますし、

それに賛同できない
オトナなんか、
ほとんどいないと思いますよ。

つまり、
無課金ユーザーの役割とか…
スポーツ振興の構造に似てる…
なんて…

そんなの百も承知で
ゲームやってるんですよ。

時間を楽しんでいるのです。
コミュニケーションツール
としての側面もある。
流行と共通の話題のためでもある。

ゲームなんて、
ムダな時間だ…。
そんなこと承知なんです。

虚構のピラミッドで
なにも残らない…。
そんなこと承知なんです。

無駄な時間を…
虚構の空間を…
楽しんでいるのです。

休憩時間の缶コーヒーと一緒。
一服のタバコと一緒。
無くても、いいけど、
無いと、さみしい。
ある種の嗜好品。

それを楽しむための要素の
ひとつとして…

課金することに
意義を見出している人は
課金するし、

意義を感じてない人は
絶対に課金しない。

でも、どっちも
ゲームを楽しんでる。

だから、
おもしろいっていうか、
優れていて、
人気のあるゲームって、
どういう要素が強いのか
どういう要素が必要なのか
見えてきますよね。

無課金プレイヤーが
無課金プレイヤーの役割を
楽しんで演じる
ことができる。

課金ユーザーが
課金による優位性を
楽しんで、
満足して、
継続して課金する
ことができる。

これらの要素が
必要なのです。

でも、そんなこと、
運営も、
制作も、
百も承知なんです。
だから
そこを目指しているのです。

そこを目指して
ゲームが作られているから、

無料でも
ゲームが楽しめるのです。

無料で楽しんだって、
いいのです。

無課金ユーザー
VS課金ユーザー

無課金は個性の
ひとつに過ぎない

いろんな立場の人がいて、
それぞれの人が、
それぞれの立場を演じる…。
楽しんで演じる。
演じることを楽しむ。

無課金ユーザーVS課金ユーザー

無課金はキャスト。
課金者はゲスト。

立場が違うのに
VSとか、勝負とか、
成り立つワケない。

無課金は無課金の
役割と義務を。

課金者は課金者の
役割と義務を。

それぞれを楽しむゲーム。

それが、
「ソーシャル」ゲーム。

だから、
「ソーシャル」ゲーム
なのです。

みんなが、みんな、
同じ役割を演じる場では
ないのです。

ひとりひとり、
みんな違うことを
楽しむゲームです。


「ソシャ」ゲって、
「ソーシャル」のことね。
課金で階層が変わる
ってことを
体験できる最良の教材。

「ソシャ」って
言ってる段階で
課金額の大小による
階層の線引きを
楽しむゲームのことだから。

「ソシャ」ゲってジャンルは
「優越感」を
「有料化」して
「課金者」に売りつける
「商売」なんですよ。

ゆえに、
「下層の劣等」を担当する
「無課金」プレイヤーが
「原材料」の役割を
「担う」のです。

ソシャゲっていうジャンルを
無課金でプレイする
っていうことは、

優越感っていう商品の
原材料を無償労働で
提供することを
ハナから同意することです。

同意するポイントが
違うのです。

無課金者は
ゲームっていう巨大なSNSに
参加する対価として
「他者へ優越感を提供」
することに同意したって
ことだし、

課金者っていうのは、
ゲームっていう巨大なSNSに
「お金を支払う」ことで
「優越感」を
「買っている」のです。

同意しているポイントも
役目も立場も違うのに…

無課金ユーザーVS課金ユーザー

…って、
なんの勝負なの?

優越感という商品を
提供するキャストと…

優越感をという商品を
購入するゲストと…

ナニを勝負するワケ?

その議論って…
意味あるの?


やれ、課金だの、
やれ、無課金だの、
そんなことは、
「みんな違う」の
要素のひとつに過ぎないのです。

個性のひとつに過ぎないのです。

スマホケースの色が違うとか、
その程度の個性の違いと
同レベルのハナシなのです。

目玉焼きには、
「しょうゆ」なのか、
「ソース」なのか、
その程度の個性の違いと
同レベルのハナシなのです。

「きのこの山」がスキなのか、
「たけのこの里」がスキなのか、
その程度の個性の違いと
同レベルのハナシなのです。

「個性」なんですよ。
どっちがイイとか悪いとか、
そーゆー問題ではないのです。

どっちでもいいですし、
どうでもいいのです。

ソシャゲっていう、
バーチャルかつ、
閉鎖された空間の
デキゴトに、

リアルのカネの話題なんて
持ち込まないで欲しいのです。

課金するなら黙って課金。

無課金でいくなら
黙って無課金。

趣味や娯楽なんですよ。
いくら使ったって、
いいじゃないですか。
カネのハナシなんて、
興ざめなんですよ。
無粋なんです。

ゲームっていう
大きなSNSの中で、

ゲストとして
「おもてなし」されたいか?

キャストとして
「おもてなし」したいか?

それだけの差なんです。

「課金」とか
「無課金」とか
そんな議論なんか

ホントどうでもいい
っていうか、
しないで頂きたいという
理由が分かって頂けると
うれしいのです。

「課金」とか
「無課金」とか
そんなコトを考えたり、

そんなコトを議論したり
することが、
アナタの存在価値では
ないはずです。

もっと有意義なコトを
考えてくれたほうが、
日本経済のためなのですよ。

無課金者は共有資源

奪い合い?
共有?占有?
無課金は大忙し!

体力の概念と課金による
回復アイテムがある場合、

無課金プレイヤーは当然、
制約を受けることになります。

例えば、
連続したプレイ時間だったりね。

これは、
無課金プレイヤーが
そのゲームから離れる
要因になってしまいます。

では、
離れた無課金プレイヤーは
なにするのか?

よそのゲームで
無課金プレイヤーをします。

先にも申し上げましたが、
無課金プレイヤーは
虚構のピラミッドの底辺。

そんな役回りを
進んでヤってくれる
無課金ユーザーを、
運営は欲しくて欲しくて
たまらないんです。

とはいえ、
ネトゲのプレイ人口は
有限です。

では、
現状はどうなのか?

無課金プレイヤーの
奪い合いです。

もしかしたら、
ソシャゲ業界全体で、
無課金プレイヤーを
共有しているって、
考え方かもしれませんね。

課金ユーザーは、
特定のゲームに
ハマっているので、
フラフラとプレイ対象を
変えたりしませんが、

無課金ユーザーは、
プレイ制限があるので、
一ヶ所にはとどまらずに、

あっちでフラフラ、
こっちでフラフラ、

虚構のピラミッドの
底辺を演じるのに
あっちこっちで大忙しです。

回復アイテムが課金制だと、
無課金ユーザーは、
業界で共有されながらも
奪い合いの対象と
なっていくでしょう。

ですから…、

あのゲームは
無課金でも楽しめますか?

…っていう、質問には、
みんながこう答えます。
「大歓迎です。」

だって、
無課金プレイヤーって、

無償労働にすすんで
参加してくださる
人たちなんですから、

大歓迎して
あたりまえですよね?

ピラミッドの底辺を担う
無課金プレイヤーは、
どこでも、大歓迎で、
どこでも、大忙しです。

回復アイテムが
課金制である限り、
無課金プレイヤーは、
広範囲にわたり、
複数のゲームから、
「大歓迎」の
恩恵を受けられるのです。

でも、
「回復」の概念が
薄いゲームって
どうなんでしょうね…。

無課金プレイヤーでも、
プレイ時間に制約が
薄いということは、
そのゲームに居つづける
可能性が大きくなります。

これは、
「無課金プレイヤー」という
「業界の資源」を
占有してしまう
ということです。

無課金ユーザーって
有限の共有資源なんです。

無課金は共有資源。

無償労働者っていう
有限の共有資源。

無課金プレイヤーは
資源として有限です。
課金プレイを体験すれば、
高確率で、
無課金プレイヤーには
戻りませんし、

新規獲得にも
必ず限りがあります。

ゆえに、
「無課金」という
プレイスタイルを
コントロールして保護していく
必要があると思うのです。

一定数の無課金プレイヤーを
業界全体の共有資源として
保護し、活用していく…。

わたしは、
そのカギが、
「回復アイテムの課金制」に
あると考えています。

つまり、
連続したプレイ時間に
制約を付けるのがいいのかな
って、思います。

より良い
課金のありかたを
業界全体で取り組むことが
必要な時期が来ていると
思うのです。

それこそ、
スポーツ振興と
一緒ですよ。

ピラミッドの下層を
どう保護していくのか?
どう維持していくのか?
どう育成していくのか?

文化として、
どう成熟させていくのか?

各社が思いつきで
アコギなコトを
するんじゃなくて、

一定の倫理で
ピラミッドの底辺を…
ピラミッドの内側を…
健全に固めていく必要が
あると思うのです。

虚構のピラミッドから
脱却する決断を
迫られる時期が
近い将来に来ると考えます。

野球…と、までは
いかなくても、
健全かつ
強固なピラミッドを
構成すべく、

今後の方向性を、
選択しなくては
いけない時期が
近づいていると思うのです。

急成長とか、
拡販戦略の支配下では、
「課金兵ガー」
「無課金どもガー」
みたいな不毛な話題に
なりがちです。

安定と成熟の
情勢下のなかで、
より建設的な話題が広がって、
より良い制度が
機能するようになれば
いいのになって思います。


ソシャゲの文化とは
なんぞや?

課金者はゲストとして
無課金のキャストに対する
思いやりの心

無課金はキャストとして
課金者のゲストに対する
おもてなしの心

課金者はゲスト。
おもてなし「される」側。

無課金はキャスト。
おもてなし「する」側。

ゲストとキャストの
立場の違いを
しっかり理解する。

これが文化としての
成熟度の指標となります。

でも、コレって、
日本人のオトナとして
あたりまえの心構えだよね?

やれ、
無課金だの、
微課金だの、
重課金だの、
廃課金だの、

不毛な話題が
炎上したトコロで

結局、
そのコミュニティが
良識ある集団か?

そうでないか?…の
ハナシになっちゃうのです。

そこに、
落ち着いちゃうのです。

だって、
日本人のオトナだったら、
あたりまえの心構えだし、
単に良識の問題だし…

って、コトですからね。

ちなみに、この記事は…
SNSや
掲示板のスレッドでの…

議論を一瞬で止める

…ことに効果絶大です。

無課金がどうのだの、
課金者がどうのだの、
ゲーム依存がどうのだの…

それらの議論が
このページのURLを
貼り付けることで
完全に止まります。

議論が解決するんじゃなく、
バカバカしくなって、
議論が止まる。

そんなコトで
議論すること自体が
意味ないことだって
みんなが気づく。

そんなコト、
どっちでもいいし、
どうでもいいって、
みんなが気づく。

ぜひ、いろんなところで
URLを貼り付けて
拡散してください。

最底辺無課金主義者たる、
このワタクシが、

あらゆる議論を沈黙に変え、
軽く平定してきてやりますよ。
瞬時に鎮圧してみせますよ。
無課金主義で天下統一です。

ワタクシっていう、
「くだらない」人間の書いた

この「くだらない」記事よりも

「課金・無課金の議論」は
もっともっと、
「くだらない」のです。

私こそが至高の無課金者

だから私は無課金主義者
私こそが至高の無課金者

だから私は無課金主義。
私こそが
至高の無課金主義者です。

異論はあっても
聞く耳持ちません。

これからも
ずっと、ずっと
パンツ一丁を貫きます。

…で、実のトコロ…
これまでは壮大なる前フリで
ここからが重要なのですが…

イヤなハナシ…

無償労働に入れ込んでるから、
貧乏になっちゃうんですよ。

貧乏がイヤなら、
無償労働を避けましょう。

「無償労働をなくせ」
…と、まではいいません。

せめて、
無償労働を
少なくするように考えよう。

現実世界でも
底辺サラリーマンで、
そのうえ、
ゲームの世界でも
無課金プレイの最底辺って…

どんだけ、
底辺が好きなのよ?

世の中には、
いろんなコトが…

無償労働だったり、
搾取構造だったり、

暗躍しています。

それを見抜ける
センスを持とう。

学識を持とう。
人格を持とう。

現実世界で底辺の人は
ゲームの世界で
課金することで、

なぜ、底辺なの?
っていうことに
チョット気づけるかも
しれません。

底辺だから
無償労働を
強制されている
ようにみえるけど、

実際は、自分自身が
無償労働を
選んじゃってるだけ。

課金することで
階層を駆け上がる
体験をすると
気づくはずです。

現実世界で
「課金」に相当する行為って
どんなこと?

ゲームで課金する…とは
無課金であることを
やめること。

それはつまり、
現実世界でいう、
無償労働をやめること。
無償労働を選ばないこと。

ゲーム世界で課金することで
そのIDに価値をつける…

それって、
現実世界では
自分自身に
価値をつけること。

無課金という立場から
課金者という立場に変わる。

ゲーム世界だけでなく、
現実世界でも
立場を変える。

立場を変えれば、
階層が一段上がる。
底辺ではなくなる。

現実世界で
課金に相当することって?

それって、
自己投資じゃね?

投資って、
別にお金に限った
ハナシじゃない。
学習する「時間」とかね。

ゲームに課金するように、
自分自身の人生にも
課金しよう。

「ソシャ」ゲって、
「ソーシャル」のことね。
課金で階層が変わる
ってことを
体験できる最良の教材。

「ソシャ」って
言ってる段階で
課金額の大小による
階層の線引きを
楽しむゲームのことだから。

「ソシャ」ゲってジャンルは
「優越感」を
「有料化」して
「課金者」に売りつける
「商売」なんですよ。

ゆえに、
「下層の劣等」を担当する
「無課金」プレイヤーが
「原材料」の役割を
「担う」のです。

ソシャゲっていうジャンルを
無課金でプレイする
っていうことは、

優越感っていう商品の
原材料を無償労働で
提供することを
ハナから同意することです。

これって、
社会に対し価値を生み出せる
オトナなら知ってること。

社会に対し、まだ
金銭的価値を生み出せない
コドモはまだ知らないこと。


課金による優劣がイヤなら、
「ソシャ」ゲっていう
ジャンルのゲームを
しなきゃいいだけ。

フェアで対等な
ゲームが好きなら
将棋とか、麻雀とか
色々あるでしょ?


だからこそ、
スマホで
ゲームに課金しよう。

そこで得られた
「気づき」を元に、

今度は
自分の人生に課金しよう。


人生への課金とは?
学識の強化だよね?

学識が上がれば…

無償労働は断るはず。
サービス残業はしないはず。
安月給の会社は
辞めちゃって、
給料のいい会社に
転職するはず。

これらは、
学識の向上によって
現れる行動です。

そーいえば、
私、無課金主義者です。
至高の無課金プレイって
なんでしたっけ?

そうですね。
課金させ上手
至高の無課金なんですね。

だから私も
あなたに課金させたい
…のです。

でも、
私が課金させたいのは
ゲームじゃなくて、

あなたの人生に…

…ですけどね。

私は、
自分の無課金主義を貫いて、
この世の貧乏をなくしたい。

ゲームの課金もいいけども…

自分の人生に課金する…
そんな人を増やしたい。

それが僕の無課金主義。
貧乏で困っちゃてる人の…
「人生に」「課金させたい」
…のです。

課金により
最低辺を抜け出して
無償労働者から
昇格させたいのです。

それが僕の無課金主義。